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健康的に音楽を愛し続けたい
”健康的に音楽を愛し続けたい”
このタイトル、意味わからない方もいるかもしれません。
私の場合は「音楽」ですが、対象が何であれ「愛する」という行為は
極めて継続することが難しいと感じています。
自分では深く愛しているつもりでも、気が付いたら依存のようになっていたり見返りがないと恨みに変わってしまうこともある。
それは極めて「不健康」だと思います。
精神的にも体力的にも消耗しかねない。
音楽の場合、そうならないようにするには「自分がプレイヤー、発信する側である」ことと「リスナー、受け取る側」のバランスを保つことだと思っています。私は、幼少期からエレクトーンや吹奏楽をしていて「プレイヤーである」ことが良くも悪くも体に染み付いていました。
そして、同じくらい音楽をリスナーとして受け取ることが日常でしたし大好きです。
しかし、高校生や大学生になり徐々に大人の年齢になると周りの環境もそれなりに変化します。プレイヤーであることをやめる人。音楽自体から距離を置く人。リスナーに徹する人。そして、何とかして継続をすることを選ぶ人。
取り巻く環境に、私自身「なぜ、音楽が好きなのか」「音楽にこだわるのは良くないことなのではないか」と考えることもありました。
でも、こうして私は趣味で音楽を続けている。プレイヤーとしても、リスナーとしてもです。
多分それは、私にとって音楽が「言語」のようなもので、自己表現が音楽であり、音楽を通してアーティストの考えていることを受け取ることが「必要なこと」であり「好きなこと」であったからだと今は思います。
言葉はコミュニケーションをするにあたって重要です。
一方通行だと攻撃になりかねない。
双方が大切にすることで、良い関係性が保たれます。
音楽も非常に似ている。
プレイヤーだけの考えを押し付けても楽しく聴くことはできないし、リスナーの考えを押し付けてもプレイヤーが作品を創りにくい環境になってしまう。
他人にこの考えを押し付けるつもりは一ミリもないけれど、
少なくとも私はバランスを保ちながら、音楽を愛し続けたいと心から思っています。