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30%

昔から、なぜか、「自分は他人より遅れをとっている」と思っていた。

物心ついた頃にはすでにそう思っていた記憶がある。

おともだちのように土手を走って下れない。(こわい)
おともだちのように跳び箱をとべない。(こわい)
おともだちのように自転車の補助輪をまだ外せない。(こわい)

みたいな、なんか、身体を動かす系のことばかりなんだったけど、こわかったんだよな。

そんで、年長さんの時は、未知の「小学校生活」に向けて、

(すっごくべんきょうしなくちゃついていけないんだろうな…っ…!!)

って背筋シャキーンてしながら思っていた。

んだけど、どうやら私はけっこう勉強ができる方で、「かていがくしゅう」とかそういうのは続かなかったけど、つまり、あんまり勉強しないでそこそこ良い成績が取れちゃう感じがあった。

でも、そりゃ、上には上がいるもんで、小・中と公立だったけど育ちの良い子たちが集まる地域の学校に通ったもんだから、「私なんかそれほど」という過小評価とともに生きて来た。

そんで、大人になって就職してからも、なんだか120点クオリティを目指してしまう。

私みたいなもんが及第点出すには120%の労力かけないと受け取ってもらえないんじゃないか。

みたいな、そういう考えがインストールされてて、意識しないでオートに実行されていく。(だから、あーわたし、120%でやらなきゃと思っている?と気づくのにずいぶん時間がかかった)

20代とか、若くて気力と体力が充実してる頃はそれでもやっていけるんだけど、いやそれに加えて恋愛とか、なかなか会えない遠距離彼氏のために土日かけて会いに行くとかできてた。

けど、なんか、ある時、散らかった部屋とか見ていて、

「あれ?これ、なんか、家庭持って子育てとかしてる人たちってどういう配分で仕事してるのかな…?」

とか思い出して、

恋愛中、彼氏と喧嘩して感情に振り回された時も、

「頼むから明日休みの時にしてくれや、仕事のパフォーマンスが落ちる」

とか本気で思ってて、

あれ、なんか私、仕事に全振りしてない???

このままじゃ、仕事以外、できなくない????

とか、気づいてしまうんだけど、でも、

「私みたいなもんが」精神がデフォルト装備されてるから、120%通常運転がやめられない。

そんで、周りが結婚して出産してとかいうのを見ていくと、

(あーやっぱりわたしって他人より遅れをとってるのか)

とかなんか再確認しちゃって、「ダメな私」認識が強化されて、さらに120%がやめられない。

わはは、

きっつー。

んで、どうすんのって話なんだけど、強制終了が来る。

自分じゃどーしよーもねー。どうがんばっても今は120%出せねー。ってことが。

それがここ数年の波瀾万丈なんだけど、それでようやく気づくんだけど、

どうやら、

自分の中の30%でも、うまくいくらしい

ということ。

なんか、こりゃ30%くらいだな、の労力で出してみたんよ。

そしたら、スーッと通って、なんなら「すっごくいいね!」とか言われて

「エッ」

みたいな。

120%完璧仕上げ文句があるなら言ってみろ派だったんだけど、30%くらいかも〜ダメなら言ってごめん⭐︎派でもどうやら生きていけるらしいんですよ。なんか120%デフォルト自分の30%って、他人からしたらふつうに及第点らしいのである。(いつのまにか基準値が高くなっていたらしい)

そして、なんだかその方が助けてもらえるっぽい。

ねー、30%って、なんか、すっごく、お得じゃないか?

そして、周りだけじゃなくって、「120点時代の自分」にも助けられる時があって、

「あなたの頼みなら引き受けるよ」みたいなこと言ってくれる120点時代にお世話になった偉い人がいたりして、

えっ

仕事全振り時代の自分のおかげで、うまくいくことってあるんだ、みたいな。
あの頃の自分がやってたことがこんなところで生きているとは、みたいな。

つまり、いつも120%じゃなくても、これ、120%でいきてえ、って時に力を出せばいいし、120%で出しても返される時は返されるし、30%でも通る時は通るってことなのだ。

「いつも120%出してなきゃダメ」「認められない」っていうのが、緩んで、

120%も出せるけど30%で出してみてもOKって思えてきている。

だって、どっちも他人から見たら違いがわからない、ただの自分ルールなんだから。


(と、戸愚呂弟の話じゃないよ…っ!)

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