すべては「受容」
相手を全否定する自分を許可することは
相手の否定的な性質に許可するということ。
パラドックスだけど、
深い部分では
自分と相手に対する「受容」だった。
( 取り違えが起きるといけないから
一応補足いたしますが
あくまで「内側」の話だよ。)
そんなことに気付いたときに
また世界が広がった感覚があって
ほんとうに全ては「受容」なんだって。
ほんとうにほんとうはね、
誰一人として
自分を変えたい人なんていない
なんでかってね、
みんな自分が大好きだから。
そして、変える必要なんてない。
「受容」してほしいだけ。
それも他人ではなく「私に」なんだ。
相手は自分の鏡だとか、
外側の世界は内側だっていうけれど、
自分がどんな人だからとか
こんな性格だからって話ではなくて
自分に対する自分の態度が
相手に投影されているだけ。
自分に対する自分の態度が
世界に反映しているだけ。
ただそれだけ。
どれだけ自分を受容してあげられるか
どれだけ自分を許可してあげられるか
どれだけ自分を赦してあげられるか
その自分に対する、
「◎」が世界に反映されていくから
世界は優しくなっていく。
「どんな自分も、そのままここに居ていい。」