唐突な「別れ」と「大人数で」の雑談が苦手
3月は「別れ」の季節。
年度末に向けて毎年徐々に心の準備を始める。
わたしはとにかく環境の変化が苦手だ。
しかし、出会いも別れも多いのが教員の世界。
1年間、家族以上に一緒に濃密な時間を過ごしてきたクラスの子どもたちや同僚ともお別れをすることが多い。
いくら最高のメンバーでも、その逆でも、全く同じメンバーで1年が繰り返されることはない。
学校とは、新陳代謝の高い組織なのである。
だからこそ、変化に弱いわたしは、
年度末である3月に向けて
徐々に徐々に心の準備を始める。
しかし…!
今回は、唐突にお別れをしなくてはならない状況が訪れて、心の整理が追いつかなかった。
月に2度ほどの関わりだったけど、『明日が〇〇さんの最終勤務となります』と告げられ、
翌日、心の準備もないままに『今までおせわになりました』と告げたその人は、学校を去っていってしまった。
あー、もっと話したいことがあったな。
伝えたいことがあったな。
まだ2月だから、油断していた!
次回もあると思い込んでいた!
急いでクラスの子達と、メッセージカードを書き色紙を仕上げ、写真を撮って、「形」としては感謝の気持ちを届けられた。でも、肝心の「心」が追いつかない。
たぶん子ども達の中にもそういう子がいたと思う。その先生をとても慕っている子がクラスにいて、その子の表情を見ているだけで、こちらもとても切なくなった。
ああ、もう少しだけ早く伝えてくれたら…もう少し心の準備ができたのにな…と、誰も悪くないけど少しだけモヤっとしてしまった。
とはいえ、今回の出来事から、「別れ」は突然にやってくるのだなと、あらためて実感。
常に「今回が最後かも」なんて考えていたら気持ちが持たないし大袈裟だけど。ときどきは、そういう心持ちで「大切な人との時間は、特に大切に」過ごしていきたいなと感じた。
「あれが最後になるなんて」という台詞を時々耳にする。ドラマや映画などフィクションでも、実生活で聞いた話でも。
100%後悔しない「別れ」なんてないと思うけど、できることなら、なるべく悔いのないお別れをしたい。
今回は、時間が限られているなかで、子ども達へしっかり「別れの指導」をすることができたと思うから、悔いはない。
「別れの指導」とは、しっかりお別れを悲しむこと、そして感謝の気持ちを伝えること。その場を設けること。
「人は時として、 『別れ』を経験して大きく成長するのだと、だからこそ、しっかりと『お別れをする』という経験を意識させることが大切(お別れ会とか、学級じまいとか、離任式とか)なのだ」と、以前お世話になった先生に教えていただいたことがある。
最低限のことはできた。けれど、それでも。 もっとこういう言葉をかけたかった
ああ、あれを話したかったと思う。
なんだかぽっかり穴があいた気持ち。
あとは『時薬(ときぐすり)』が少しずつ解決してくれることを待つしかない。
もともと人との「別れ」は苦手なんだけど、特に「唐突な別れ」は心にくるな〜と思った出来事でした。
あともう一つ、
自分に対してモヤモヤしたこと。
最終退勤間際、その方を取り囲んで雑談が繰り広げられていた。
自分も入りたかったけど、途中から雑談に入っていくタイミングを掴めず、仕事もあったから、結局のところ何となく話しているのを聞きながら片手間に仕事をしていた。
わたしは、1対1や2.3人とのお喋りくらいなら気兼ねなく、ストレスなく話せることが多い。しかし、それ以上は人数が多ければ多いほど、自分の立ち回り方がわからなくなる。
久しぶりにそういう自分が顔を出し、なんだか落ち込んでしまった。まあ、全ては考えすぎなんだけどね。
多分、生理前のPMS。
わかっているけど、こういう時の情緒の保ち方が下手くそ。
…というわけで、文章にしたら少し気持ちが落ち着くかなと思って言葉にしてみました。
「モヤッとしたこと」として書いてしまったけれど、そもそも、こんなに「別れ」を悲しめるということは、それだけその人との関係性が「大切」だったということ。良い関係が築けていたということ。
だから、とてもありがたいこと。素敵な出会いに感謝したい。
個人的に尊敬していたし、もっと仲良くなりたいなと思っていたから、唐突なお別れへのダメージが特に大きかったのだと思う。
彼の新天地での、ますますの活躍を祈って。
終わりたいと思います。
最後までお読みいただきありがとう
ございました。
「春」は好きだけど、
出会いと別れの季節は大の苦手。
これからの時期を迎えるのが少し憂鬱です。
どんな捉え方をしたら、
しんどくなりすぎず済むのかな〜。
こういう時、やっぱりHSP気質が若干あるのかなあなんて考えてしまいます。
おしまい。