見出し画像

肌寒くて幸せが見えてしまう

ものすごい勢いで鳴いていた我が家の庭の虫たちも、少しばかりおとなしくなりました。
みなさま、いかがお過ごしですか。

私は、申し込んでみたら、本当に通信制の大学に入ることになりまして、ドキドキワクワクしています。
編入の形で入ったので、なんとか1年を目安に単位取得を目指して頑張ります。資格取得の勉強には答えがあるし、決まった形があるので楽しい!質問を先生に聞けるなんて、なんてありがたく嬉しい環境!って思います。(今はまだ勉強が始まっていないし、気持ちに余裕があるからね。)


こちらは、朝晩の寒さがはっきり感じられるようになりました。こたつに電気を入れると嬉しくて(さすがにこたつ布団はまだ)、お風呂上りに薄い毛布をはさんだ布団を見ると、心の中でウフーっと目尻が下がります。

牛乳をチンしてミロをどっさり入れて、茶色い粉がミルクの表面をサーッと滑っていくのを見たり、ちょっといいお茶っぱを棚の奥からひっぱり出してきて茶筒に移して匂いを嗅いだり、そういうのにいちいち幸せを感じています。
家に「ただいまー」と家族が入ってくる時と、外から「ただいまー」とドアを開けた時の自分の幸せも、寒い季節になると、色濃く感じられて好きです。

雪国暮らしが長いせい(生まれてからずっとや)で、寒い時にあったかいものを見ると、とても幸せになります。家族が温かい所にいると分かると安心します。

ほっとして、『今、私、幸せだー!』って体の中で自分の気持ちを撫でまわして実感します。そうそう、私の幸せはここにあるって確かめてます。

幸せが分かりやすくて大変良い季節だなぁ。秋冬は。
本当に食べ物もなんでもおいしいもんなぁ。まぁ、単に私が秋が好きってだけかな。
(たぶん雪が降り積もったら「春早く!!」って言う。)



私、ずっと書きたいと思いながら、時間に流れ流されハラホロヒレになっていて、やっとこさ、今日になって書きます。



30代の女性に向けて書かれた本(語りかけ風のエッセイ)で、私はもう40代ではあるけど、楽しく読みました。

私が初めて田辺さんの本を読んだのは「新源氏物語」。それから「ジョゼと虎と魚たち」、エッセイを何冊か、少し前に読んだ「ひねくれ一茶」も面白かった!

田辺さんって、上品でふんわりしていて、賢く現実を見ているのに、いつまでも夢見る少女みたいな雰囲気を失わず、私の身の回りでは、まったく出会う事のないタイプの人です。彼女の文章を読んだりインタビューを聞いたりするたびに、関西っていうのはこういう方が住んでいるんやろか、はんなりっていうのはこういう雰囲気の事なんやろかと想像します。

世の中にイヤなことが100あるとしたら、私は、いいことは120あると思ってるの。そうすると厚かましい子は「20しか違わないんですか!」って言ったりするけど、それはその人の心がけ次第ね。
「いいことが来るのを口あけて待っていられるかい!」って言うのは大概、男の子。女の子は「かもね。私にも来る?いいこと」って笑ってる。そうやっていい顔してるだけでも、いいことはやって来ますよ。

田辺聖子「歳月がくれるもの まいにち、ごきげんさん」より引用


私は、これまで「いい事と悪い事はいつでも半々、辛い時でも良い事は必ず半分ある、いつだって私はそれを見つけるべし。」と考えてきました。だけど、なななんと、田辺さんは100対120!!

へ~、そんな風でもいいのか。つじつま会わなくていいのかって、驚いて、それから少し気が抜けました。
100対120の方が断然嬉しいよね。
これからは、私も「私の人生はイヤなことが100なら、いいことは120だもんね!!」という事に決めました。決めたわよ。


田辺さんの『力の抜け加減』と『自分の表し方』がいつも美しくて、文章を読んでいると、読んでいる私の心までまぶしく照らされている気がします。

(田辺さんの明るくたおやかな風情に、きっと家族がそういう愛をつちかえる人達だったのだなと、田辺さんの幼少期を羨ましく思ってしまう。そこまでが、田辺さんの本を読む私の恒例行事。)

人生は、おおよその時、ほんのり笑って、優しく、明るい顔をして過ごすのが大事なんだよね、きっと。


そして、


こちらの本も面白かったのです。

私は京極さんの本を読むと、この人はこんな風に物事を見るのか、私もそうしよう、という発見があるので、意識して覚えます。(そして忘れたり、断片だけをずっと覚えていて利用したりする。)

高校生の時には、すごく流行った「嗤う伊右衛門」を一気に読み切って眠れなくなりました。ヘビ怖い。
1人で読んだことを、深夜のベッドでめちゃめちゃ後悔したのが懐かしい。


「地獄の楽しみ方」は、京極さんが2019年に行った10代限定特別講座をもとに構成された本で、単行本の裏表紙には、
『あらゆる争いは言葉の行き違いから起きています。(中略)小説家・京極夏彦が指南する、地獄のようなこの世を楽しく生きていくための「言葉」徹底講座。』と紹介されていました。

過去と未来なんてものは、本当は「ない」んです。
先ほど僕は、「今しかない」と言いましたが、イ・マ・シ・カの「カ」を発音した時点で、「イ」や「マ」はもう過去ですね。そういう音が発せられたという記憶が頭の中にあるだけ。
(中略)
過去も未来も、私たちの頭の中にしかないんです。

言い換えるなら、頭の中には過去も未来もあるわけです。今日ではない、昨日や明日を認識できるのは、言葉があってこそですね。

京極夏彦「地獄の楽しみ方」より

「第1部・言葉の罠にはまらないために 「過去」と「未来」は言葉で作られた」という章から引用した一節です。

「過去はない」ってことを「言葉の有無」を理由に言い切る人は、私にとって初めてだったので驚きました。でも、本文中に書かれた、京極さんの理由と説明は、私にとてもしっくりきました。
(言葉の不完全さについて、いろいろな切り口から書かれている本なのです。短い本なので、是非、興味のある方には読んでいただきたいです!)

私は、複数の胃袋を持つ牛みたいに、「わーーーー!!」と叫びたくなる記憶を何度も何度も反すうする生き物なのです。音とか匂いとか、ささいなきっかけから、遠い昔の記憶と感情をよみがえらせる事ができます。

これまで、悩んで行き詰まるたびに、過去はもう過ぎた事だよ、忘れていいよ、少しずつ、昔の我慢した気持ちを消化していこうね、などなど、いろんな人から言われました。
そう言われても、私には忘れられない、苦しい気持ちがちっとも消えないんだよ、どうして私は終わりにできないんだろうって、新たに悩んでしまう事もありました。それが、



「過去はないです。」「はい終わり。」


みたいに京極さんに言われてしもうたよ・・・

うあーーーー。びっくりしたなーーもーーーーーー。

(もちろん、安心安全な環境で過去を思い出したり、気持ちを振り返ったりする事は、とても大切だと思います。私も専門家の助けを借りて、たくさん振り返ることができての今、です。いろいろな状況に、いろいろな対応があって、どれもが必要で、たまたま今の私には京極さんの書いた言葉がえらいこと響いた、という感じ。まさに言葉の不完全さで、伝えるのが難しい事象ですね・・)


これからの私は「過去無いよね。過去めっちゃ消え去ってる。」って素直に思えると思う。




すみません、また思うままにnoteを書きました。配慮の足りない部分があったら申し訳ないです。
読んでくださって、ありがとうございました!

学校をはじめた関係で、しばらくは、もしかしたらあまりnoteにこられないかもしれないけど、絶対また来ると思うので、どうぞよろしくお願いします!!(*´з`)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?