【韓国ドラマ】梨泰院クラス: 自分の価値をどこに置くか?
もう流行りが過ぎたかもしれないが、やっと「梨泰院クラス」を見終わった。バズっただけあって、キャストは美男美女でストーリーは飽きないし名場面と名言がゴロゴロ…!
私は「梨泰院クラス」を見て、『うーん、なるほどな!いいな!』とスカッと学んだことがあったので、この記事に記録しておくことにした。
あらすじ
簡単にあらすじを紹介すると、
同級生で「長家」という大手居酒屋グループの跡取りの息子に、父親をひき逃げされたパク・セロイが、梨泰院という街で同じく居酒屋を経営し、個性豊かな仲間とともに「長家」に命を懸けた復讐に挑む物語。
このパク・セロイが、心が折れそうな場面で何度も思い、大切にしてきた言葉が『信念』である。この物語のキーワードであり、自分を奮い立たせるための重要な思いだ。パク・セロイの「信念」無しでは物語は進まないし、こちらも語ることができないだろう。
確かに、一貫して「信念」を突き通すストーリーで、見ている私も自分の信念とは…と考えさせられるものだった。けれど、私はその「信念」のもっと根底に、もっと共通したbaseのものがあるように思えた。
「自分の価値を自分で下げて安売りするな」
信念のもっと根底に、もっと共通したbaseのものとは、それは「価値」ではないだろうか。自分の人生や考え方のどこに価値を置くかで、ものの見方は変わる。
パク・セロイの信念とは、正義や誠実さなどを含んだ人への信頼に価値を置いており、一度でも甘い考えで信頼を壊すような生き方をしないと決めていることだ。さらに、パク・セロイは信頼される人に相応しい器になるため、自分の価値を1㎜も下げず、どんどん成長しようと他人や自分自身で作り上げる価値に囚われていない。ほんと、男前。
人生の中で、生活している日常の中で、私たちは数えきれないほどの選択を繰り返している。何を食べるか、何を着るか、どんな言葉を使うか、どんな行動を取るか。これら全ての選択は、全て自分の価値に基づいている。
人に決めつけられない価値を持って行動することで、自分の自由を表現できる。他人に支配されない自由。自分で生活や人生を選ぶ自由。パク・セロイは、その全ての選択に責任が持てるように、信念を貫き通したのだと思う。
「フリーダム イズノット フリー」
私が「梨泰院クラス」を見ていて序盤、疑問に思ったことがある。それは、パク・セロイはいつも復讐心を持っていて、本当に自分の人生を歩んでいると言えるのか?ということ。大切な人を大切にできず、常に目標を追い求めていることは幸せか?
物語の中盤で、パク・セロイが「望むものは自由」「不当なことや権力者に振り回されず、自分が人生の主体であり、信念を突き通せる人生を生きたい」と話した回があった。復讐が完結しても、この部分が叶っていないと自分の人生を生きていると言えないということ。
パク・セロイは仲間をとても大切に思っており、その仲間も同じように自由でいて欲しいし、仲間を自分の言動で守ってやりたいと思っていた。しかし、「自由はただではない」。さまざまな責任や思いが、自由には付いてくる。子どもよりも大人の方が、自由も責任も多くなることと似ている。
強い人とは
パク・セロイは、強い人だと言われていたし、強い人でありたいと信念を貫いた。作中でパク・セロイは強さについて「真の強さは人から生まれる。みんなの信頼が俺を強くしてくれる」と話している。
私は、強い人とは「自分の価値に囚われず、自分の選択に責任を持ち、自由を表現し、与えられる人」なんじゃないかと感じた。少し長くてまとまっていないけど…。
パク・セロイでいえば、自分の価値を下げることはせず、責任を持った言動で信念を貫き、働くことや生きることへの自由を見せ、最後には仲間の心を次々に自由にしていった。「自由が与えられる」次元までいってやっと、強い人になれるのかなと思う。
感想
「梨泰院クラス」は「壮大な復讐劇」と一言で済まされる物語ではなかった。社会格差や人種・性の差別などの社会問題、Instagramでの集客、資産運用など、実はさまざまな話題が盛り込まれていた。また、パク・セロイの居酒屋で働く仲間もさまざまに問題を抱えており、一昔前の王道の超ドロドロな復讐まっしぐらでなかったため、最後まで見飽きることなく進められた。
私のお気に入りの場面は、料理担当のマ・ヒョニがテレビ番組の裏側で、自分を生きると決めたところ!パク・セロイよりも、初めから自分の人生を生きていたと思う(笑)
「梨泰院クラス」はすごくパワーをもらえた作品でした。学びと気付きも多くあり、おすすめです。
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