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#161 ”つながり” @ 「徹夜の実験」「ライプツィヒ」「滝廉太郎」

 一見すると,”つながり”がない気がするこの三つの言葉,私の中ではつながっています.「つながっていなかったもの」が,自分の人生の中で「与えられたつながり」もあれば,「自分でつないだつながり」もあります.例えば,この三つの言葉は「バッハの音楽」でつながっています.

朝のNHK FMラジオ番組

 30年以上前の大学院生の頃,世の中はいわゆるバブル景気で「24時間働けますか」などと栄養ドリンクのTV CMが流れていました.研究室の手作りの実験装置を使って学会発表までに実験を行うのに余裕がないことがしばしばあり,徹夜で実験をすることも時々ありました.朝の6時頃に,眠気覚ましに聞いていたNHK FMから『朝のバロック』という音楽番組をよく聴いていました.特定の宗教に信心深さがない私も,意識が眠気と葛藤している”極限状態”で大聖堂に響き渡るパイプオルガンとボーイソプラノの済んだ声に,”神々(こうごう)しさ”に似た感じをいだきました.ヘンデル,ハイドン,バッハは,なぜか徹夜実験の記憶と一緒に今でも蘇ってきます.

バッハの居た場所

 新型コロナで海外旅行ができなくなることなど,”つゆほど”思っていなかった昔,ドイツのライプツィッヒを訪れる機会がありました.

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(写真:ドイツの街中,いろいろとペイントがしてありました.落書きを上書きして消したのかも.)

 聖トーマス教会は,バッハが音楽監督も務めた有名な場所なので,是非一度は訪れたいと思っていた憧れの場所だったので念願かないその地を踏んだ時には,それだけで感動しました.売店の年配の人のよさそうな女性に「バッハの大ファンだ」と告げると,「みんなそうです.」と英語で答えてくれたのには,二人で笑ったものです.バッハのサイン入りの楽譜がプリントされたTシャツを買い喜びました.今でも部屋の壁に飾って,思い出してはニコニコしています.この記事の最初の写真は,そのTシャツです.AがBより背が高いのが直筆のサインの証(あかし)です.

『廉太郎ノオト』

 谷津矢車 著


「ノート」と「の音」が二重に重なった書名にひかれて,読み始めた一冊の本です.音楽家の滝廉太郎さんのことは,ほとんど知らずに読み始めたのですが,ぐいぐい引き込まれていきました.滝さんも聖トーマス教会を訪れたことが書いてあり,”おぅおぉ―”と感動しました.その場面の描写を読んでいると,あの売店の女性の顔と一緒に第バッハの銅像などなどが頭に蘇ってきます.

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(写真:音楽家を多数輩出したバッハ家でもっとも有名な第バッハの銅像.大きかったです.日本語に訳すと”小川”さんでしょうか.「大バッハ」なら,「大きな小川さん」と訳すべきかも)

二通りの考え方

 「朝のバロック」「聖トーマス教会」「廉太郎ノオト」の三つは,そういう”筋書き”が予め用意されていたと思えば「運命」や「導き」を感じるかもしれません.しかし,いつも一生懸命に取り組んだことや心震わせて感動したことを記憶に刻み込み続け,一見するとバラバラな物事の間に「つながりを感じる」ことは「つなげる」という”操作”で,それはそれで嬉しいものだと思います.

 「つながり」なのか「つなげる」なのか?たぶん,どちらもあり,どちらも楽しいものなんだろうなと,最近,自分の55年を振り返ると思う今日この頃です.

「つながり」と「味わい」

 人と人,物と物,記憶と記憶,つながりの多さがきっと人生に”味わい深さ”を増やすのだろうなと思います.