2021、大晦日に思う
今日は大晦日。今年一年、本当におつかれさまでした。無職で走り切った自分を労いたい。何かしている方がよっぽど楽だったけれど、それをさせようとしなかった自分の体に感謝している。潜在意識や無意識が強い一年だった。
昨日買った文学界の能町みね子さんのエッセイを読んで、あたらめて人のことはわからないと思ったし、私は個人的にわかってはいけないと改めて思った。簡単に人のことをわかりたくないと思う。わかるはずなんてない。そこにある思いや過程を、たった何分か聞いただけで「わかる」なんてことあるはずない。簡単にわかるほど、人の人生は単純じゃない。でもわかりたいと思うから、理解するための努力は惜しみたくない。
私自身、昨年末に無職という立場になった。そんな自分を受け入れられずにいた時期に、とある人から「ニートじゃん」と言われて、少し傷ついた。もちろん私を傷つけようとして発した言葉ではなかっただろうから、悪意などもない。だけど紙で指を切ったような鋭いチクッとした痛みを、私はずっと忘れられずにいる。
こんなことが、きっとこの世の彼方此方で起こっている。誰かの発言に不意に傷つけられることもあれば、逆に自分の言葉で傷つけていることもある。私自身もきっと知らぬ間にたくさんの人を傷つけてきただろう。
他人のことはわからない。それを人と関わっていく際の前提にしないといけないと、能町さんのエッセイを読んで改めて強く感じた。見えてみる部分だけがその人じゃないのだから。
今は何かを発すれば誰かが傷ついてしまう時代、なのかもしれない。だからと言って何も発しないのはこれまた違う。私は自分の感じたことや思ったことをこれからも言葉にするだろうし、身近な友達や仲間には話していくだろう。その過程で傷つける場面があったら、素直に謝ろうと思う。完璧な人間なんていないのだから、間違ったら都度素直にごめんなさいと伝えられる人間でありたい。そうやって、これからも人と関わっていきたいと思う。私は人と話すのが好きだから。
そんなことを考える大晦日。
今年一年、本当にお疲れ様でした。良いお年をお迎えください。