反出生というマイノリティ

フェミニスト界隈でも反出生の話題となると勢力が二分されたかのように意見が食い違うのを見てきた。

私は反出生という思想は好きだ。
昔の私は何度も考えていた。

「生まれて来なければこんな苦しみも悲しみも味わうことは無かったはずなのに。楽しいことも多少はあったけど、その代償があの苦しみなら最初からこの世に存在しない方が良かった」

近年この気持ちに理解を示してくれたのが反出生主義だった。

こう書くと子持ちからは攻撃されるだろう。
そんなにこの世が嫌ならお前だけ死ねと。
生まれてきたくなかったというならなぜすぐ死なないのかと。

我が子に「人を傷付けちゃダメよ」と教えるのと同じ口で他人に死を勧める親という生き物たち。

反出生主義者は
『産まれる』→『苦しい人生を歩む』→『苦しんで死ぬ』
というプロセス自体を否定したいのだ。
『産まれる』というイベント自体を無に帰したい訳であって、今すぐ『苦しんで死ぬ』イベントが発生して欲しい訳では無い。もしも安楽死が認められていればお望み通り死を選ぶ人もいるだろう。

この世に生まれた以上必ず死が訪れる。
『産まれる』イベントが発生しなければ決して『死』のイベントは発生しないのだ。

前に3歳の女の子が「いつか死んじゃうなら生まれてきたくなかった。どうして産んだの?」と泣いて困ってるというツイートを見た。
彼女は早くも気付いてしまった。
いつか必ず自分にも死が訪れると。

ママがオバケに…の例の本が話題の頃だったから彼女はそれを読み聞かされて悟ってしまったのかもしれない。

6歳の頃似た経験をした。
私がタンクに登ったのを見て「そんなところにいたら爆発して死ぬよ!」と言われた。
その時初めて「死」が怖くなった。
爆発したらパパもママも妹もじいちゃんもばあちゃんもおばちゃんもみんなみんな死んじゃうんだ。
その日から夜眠れなくなった。
毎晩みんな死んじゃうんだってわんわん泣いて親を困らせた。

親が学校の先生に相談したことで『死』についての道徳の授業が行われることになった。
話をクラスメイトと共有したことで多少不安が減って夜中に泣き出すことはなくなった。

実家は猟師をしていたから毎日動物の死を目の当たりにしていたはずなのに泣くようになったあの日まで『死』の実感を持つことは無かった。
皮を剥がれた兎の死体がたくさんぶら下がった納屋、四肢を解体され食肉に加工されるイノシシ、剥製にされたタヌキや狐、猟銃で撃ち落としたカモの羽毟り作業、庭で飼ってる烏骨鶏の足を縛って吊るして首を落とす血抜き作業、芋のコンテナからネズミが出れば言われるがままに踏み潰し畑に投げる、上空から様子を見ていた鳶がさっと舞い降りてネズミを咥えて飛んでゆく、日常過ぎて気付きもしなかった。

気付いてからは少し変わった。

生まれて来なければ良かったのにね。
そうすれば私たちに食べられることもなかったのに。

そう思いながら動かなくなった死体の皮を剥ぐ。剥いだ皮は猟犬に食わせた。兎の尻尾やイノシシの尻尾や蹄も猟犬のおやつだった。

こんなに死の近くにいたのにそれが自分にも降りかかると気付くまでにこんなに時間がかかった。

苦しみが待っているなら生まれてこない方がいい。
存在しない方が幸せなんだ。

今の私にはそれが信じられる道。

でもそんな反出生に賛同する私も子供は好きだ。
保育士になろうと思っていた時期もあった。

年の離れたいとこが10人近くいた。
集まるとみんな私が子守りした。
ミルクをあげた子、オムツを替えた子もいる。抱っこをせがまれおんぶをせがまれ、鬼ごっこ、隠れんぼ、お散歩、みんな引き連れて歩き回った。
帰りたくないと泣いて私を呼んでくれる子も、バイバイと言って恥ずかしそうにほっぺにキスしてくれる子もいた。

もうみんな大人になったろう。
それでも可愛いとは思う。

長らく子供の相手をしない生活をしているが、家に営業に来た方が子供をどうしても預けられなかったからと連れて来た。懐かしいなと思いながら子供用の3パックジュースを買って、コンセントにはベビーガードをして、ハウスダストアレルギーだといけないと家中掃除をして出迎えた。

やっぱり人の子は可愛い。

今時こんなに子供好きな人って珍しいですね。最近の若い子は子供嫌いって人が多いから…と帰り際に言われた。

可愛いよ。

それでもやっぱり自分の子は欲しいと思わない。
機嫌が悪い時に無意識に出る親と同じ毒親仕草がより一層ダメだと実感させてくる。

だから私は反出生主義者として生きていこうと思う。
妊娠している人が憎い訳でも、自分と違う思想を持って子供をぽんぽん産んでる人が憎いわけじゃない。
でもそれで苦しむ子が居るのなら私は見過ごしたくない。その子のために支援がしたい。
毒親から逃げる術を教えてあげたい。

生まれてきてしまった以上は幸せに生きて欲しいから。

そういう意味で養子という選択肢は何度も考える。今既に苦しんでいる子がいるならまずはその子を救いたい。今生きている子供たちに幸せだと感じられるような生活をして欲しい。

でも養子という選択に世間は冷たい。
血の繋がりが何よりも大事なのだと熱弁する上司、子供は絶対自分で産むべきだという先輩。血が繋がってるから可愛いのだと豪語する上司。それは私が養子だったとしても同じ言葉を向けるだろうか?
血の繋がりが大事ならなぜ血の繋がらないパートナーと結婚するのだろうか。
そんなに大事なら親族間のみで繁殖すればいい。

こうしてどんどん自分がマイノリティ側なのだと実感させられる。

養子もきっと迎えられないまま人生を終えるだろう。
養護施設に寄付やボランティアをするくらいしか今の私には出来ないから。

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