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ママンの「シアワセのハコ」

私は一般的な芸能人やらキャスターやらで構成されている日本のTV番組(国営民放とにかくアニメ以外全て)が大大大大大大大大大大大大嫌いである。
うるさくて箱の中の奴らだけが楽しくて箱の外の人間が楽しいかどうかはどうでもいいみたいだ。
音だけでも気持ち悪い。
私の家で私が見ないテレビ番組を流さないで欲しいし私に聴かせないで欲しい。
本当に嫌で嫌でしょうがない。

スポーツ中継も興味ない。
スポーツとはアスリートの人の孤独な戦いなのにそれを代理戦争みたいに扱い、「日本の誇りです」とか何もしていない何も生み出さないくせに手柄を横取りするような事を言い出す輩がワンサカ湧いてきてそれを見せつけられる。
そういうのを目にしたくないので極力触れないようにしている。

そこで生活の情報源はネットかラジオになるわけだが。
ラジオは大好き。
「音だけで伝える」というのが大前提なので、聴いている側の人間を意識して作っているなあと本当に感じる。

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私は子供の頃からテレビをBGM代わりにするくらいなら好きな音楽やラジオを流していたい方だった。
自分の部屋にテレビを置いてもらってもそれは変わらなかった。

しかしうちの母親は違った。
特に理由なく、常にテレビが点いていないと落ち着かない人だった。
静寂が苦手だったのだろうけど。
頭おかしいレベルで。

最後に母親と住んでいた家は密閉性がなく、私の部屋と母親がいる居間とはスカスカの襖しか隔てるものがなく、その頃には母親は耳を大分悪くしてしまっていたのでとにかく大音量でテレビを流しっぱなしにしていた。
さらに韓国のドラマにドはまりしだしてからはほぼ24時間くっそ気色悪いハングルが延々私の部屋に聞こえてくるのだった。

寝る時はうるさいし光がチラチラ入って嫌だからテレビを消してほしいとお願いしたが全くききいれてもらえず、寝る時も付けっぱなしにするのだから私はたまったものではない。
生活費も折半どころか半分以上私が賄っているのにどうしてこんな目にあわなければならないのか。
責任者に問いただす必要がある。
責任者はどこか。
こちらもいよいよ頭がおかしくなってきて、母への援助の同居を打ち切って遂に自立に至った。

元々機能不全の家庭で家族が嫌で嫌でしょうがなかった。
自分としては社会人になるタイミングで自立するつもりで生きていたのだけど、本当に頭のおかしい母親(過干渉で束縛する毒親)はそれを許してくれなかった。
自立の話を持ちかけるたびに死ぬ死ぬ詐欺だのブチ切れで話にならないの繰り返しに心底疲弊した私は半ば諦めていたのだけど、「24時間ハングル攻撃」にはもう本当にダメになってしまい、もうダメだと思った日から1ヶ月くらいで母親との家を出て自立してしまった。

韓国が関わるコンテンツは最初から受け入れられなくて嫌いだったけど決定的に嫌悪の対象になったのは母親のおかげだ。
この国の名前をタイピングするのだって嫌だ。
もう政治に関する話題だろうが芸能だろうが韓国に関わる事、有象無象全てのものが私に聞こえないように触れないようにしたい。
触れなければ悪くいうこともないしそもそも考える事すらないのだから。
ニュースサイトなんかもなるべくフィルタリングして表示されないようにしていた。

母親を捨てるきっかけと勢いになった点ではテレビと韓ドラに心の底から感謝している。

離れてしまえば案外大丈夫だったようで、母親もちゃんと一人で生活している。
そこで相変わらずテレビを大音量でタレ流している。
ので、私はほとんど母親の家には行かない。
母親に会っても、こちらからの話を全部聞き流された挙げ句、テレビで見た話を延々されたり死ぬほど興味無い芸能人の話をされたりするのも本当にウンザリする。
聞いているだけで頭が悪くなりそうだ。
韓国ネタに関しては私が心底嫌がって本気でキレるのでかなり気を使って話さないみたいだ。

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「テレビ」というものについて一番しっくり来たというか「ああこれだな」と思ったのは「シアワセのハコ」だ。

「MOTHER3」の冒頭では主人公の村には近代の文明が無く、アーミッシュ(多分)みたいな生活を送っていた。
話が進むと、ある日突然村の外から見るからに怪しそうなやつ(ヨクバ)が来て「シアワセのハコ」というのを次々村人たちの家に置いていく。
村人たちは少しずつ「シアワセのハコ」のせいでおかしくなってゆく。
「シアワセのハコ」を拒否した人たち(主人公の家含む)は村八分にされてゆく。
「シアワセのハコ」とはテレビ(直接表現はないんだけど)の事なのだけど、それのせいで素朴な村が少しずつ、でも確実におかしくなっていくのだった。
あのストーリーの中でとても印象に残っているところだ。
洗脳するための道具なので放送内容もそっち寄りのものだったとしても、素朴だった村人達の「シアワセのハコ」に対する異様な執着とかおかしくなっていく様がすごく怖いなあと思っていた。
可愛いドット絵のゲームなのに、このなんとも表現できない忍び寄る怖さを表現できちゃう糸井重里(作者)すげえなあ、とも思った。

うちの母親がテレビテレビテレビテレビ点けてと騒ぐ度に、この「シアワセのハコ」の話を思い出す。

あの人にとっては本当に「シアワセのハコ」なのだろう、と。

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ラジオ番組というものは映像がなく、聞いている人だけに音だけで伝えることを目的に作られているので聞いていて違和感がない。
テレビを垂れ流していると画面を見て初めて理解できるし、目と耳両方持っていかれるのでなんだか色々時間の無駄だし、テレビの箱の中の人間だけが楽しくて、テレビの外の人間はお呼びではないみたいだしその自分たちだけで騒いでいる人の輪には入れない(入りたくもないけど)。
そう思ってからは違和感や不快感しかなくて朝の情報番組ですら気色悪くて見れやしない。

以前までは朝のラジオは別所さんだったけれど、去年の4月からは大好きな声優の鈴村健一さんがTOKYO FMの朝ゴールデンのパーソナリティになったものだから、もうめちゃくちゃ朝ラジオが充実して毎朝嬉しくて嬉しくてしょうがない。

とてもじゃないけどテレビ番組なんて見られないしもう一度母親となんて暮らせない。
母親のあのテレビに対する執着とかなんなのだろう。
静寂が苦手なのは、血縁全員が同じ家でニギヤカに暮らす田舎の出身のせいかなとも思うのだけど。
(私は家族バラバラの家で育ったのでその経験はないけどね)

Netflix再生装置またはAndroid搭載モニターとしては置いておきたいけど、テレビ放送を受信する機能は心底要らない。
要らな過ぎて震える。