やさぐれエッセイ-Deserve-2016年の奇跡
JJが5才になった。
カナダで28才のとき夫と結婚
日本からきた家族に祝ってもらい幸せだったあの頃。
そこからまさかキャリア10年の不妊女子になるとは夢にも思わない
高額でストレスフルな不妊治療、夫もやさぐれてギャンブルにハマり、ついには親戚と裁判沙汰にまきこまれ、その間もずっと夫婦でレストラン経営。
家族も友人もいない外国で、ひとりこの何重苦に耐えるうち精神を病み、発作的に大量のペインキラーをのんで緊急に運ばれる事件もあった
地獄の10年
そして39才。自然妊娠で長男タラちゃんを授かった
奇跡的に息子を授かり幸せな日々がはじまる
タラちゃんは3才になると事あるごとに
『シスターがほしい』
『ボクの妹はキティちゃんのお家に住んでるんだよ』
『おふろで1人で遊ぶのはロンリーだね。誰かといっしょに遊べたらいいのに』
と言うようになった
当時すでに43才
『あのね赤ちゃんが来るかどうかは神さまが決めるんだよ。お母さんに言われても困るけど、タラちゃん妹がほしいってお祈りしてみたらいいよ』
まずムリな願いだと思い、よくそう言いきかせていた
それが44才のとき『今がさいごのチャンスかもしれない』
突然スイッチが入り、ダメもとで妊娠関連の検査をうけサプリを探し急にモーレツな妊活がスタートした
そして45才で奇跡的に自然妊娠、その年の12月に次男JJが誕生
それから5年
JJは3才のとき自閉症スペクトラムの診断をうけた
長男とは180°ちがう子育てにとまどってきたけど、まさか次男が発達障害だとは夢にも思わず、視界が一瞬真っ白に発光して飛んだ
原爆が落ちたかのような衝撃
異常なショックと無感動な絶望感におそわれ、診察室の蛍光灯の下に夫婦でボーゼンと立ちつくしたあの日
そこからコロナステイホーム中のカオスと、療育に通うまでの数々のドラマ、そこからの日々のストラグル(困難)
家族みんなで信じられない密度の5年をすごした
JJのためにツリーを飾り、minionのバルーンを買い、夫がご馳走を買い出しに行ってくれ、親戚家族を招き、質素ながら精いっぱいお誕生日を祝った
ひと晩じゅう上機嫌の4才児
お誕生日というコンセプトが彼にどこまで理解できてるのかわからないけど、自分のために皆が祝ってくれているのは分かったようで嬉しそうなJJ
私が高齢出産したせいでJJに障害がでちゃったんじゃないかという罪悪感に悩まされ『JJゴメン』となんども泣きながら謝ったこの2年
でも今JJがどうあっても、これからJJが話せるようになるのかわからなくても、JJを産んでよかった
JJ生まれてくれてよかった
ウチに来てくれてありがとう
ママをえらんでくれてありがとう
JJみんな大好きだよ
JJ愛してる
これからもずっと
いつまでも元気でいてね