小説家チャレンジ43日目〜「できない」を「やる」人生〜
日本の大学を卒業してカナダに来て、そこから25年ずっと働いてきた。
さいしょは観光地ホテルの日本語スタッフ→
ツアーガイド→
日本食レストランのホール担当→
都市ホテルのフロント→
夫と起業して
飲食店のホール、キッチンスタッフ、経理→
失業して
カナダ系大企業のカスタマーサービスと事務職。
大学では文学部で、専門分野がとくになかったのと、就労ビザがとれる職種がきまっていたので、
しぜんと観光業や接客をすることになった。
なんだけど学生時代の自分は、ずっと「人間関係にがて」と思って生きてきた。
高校3年間はほぼ不登校で、なんとか卒業できたけど、友だちもほとんどいなかった。バイト禁止の学校だったので、単発的な仕事をいくつかやったくらい。ずっと家族や家の中でぬくぬくしていて、人間関係はほとんどなかった。
大学では長距離通学しながら、4年間まじめに勉強。そのうちの2年、英会話学校に行くようになりはじめて社会人の先輩たちと、楽しく食事したり週末にあそびに行ったりする機会があった。
そう考えると、じぶんは英語を習うようになってから、性格が明るくなった気がする。ニートみたいな状態から、かなり外交的になっていき、引っ込み思案から、チャレンジ精神がでてきたように思う。
英会話学校では「やる気」が評価された。
それまでの学校システムとは、評価基準が180°かわって「答えが分かっているから手をあげる」だけではなく「そこちょっと分かりません、もう一度お願いします」と質問したり、授業おわりに「ここがまだ分からないんですが」と積極的に先生に質問するのが「いい生徒」になった。
「できる」「結果」だけじゃなく「理解しようとしている」「努力している」プロセスや姿勢も評価される文化にであった初めての体験で、日本の高校では不登校の私が、英会話学校できゅうにイキイキしだした。
人生ではじめて、自分が評価される世界をみつけた気がした。
それが英語をはなす文化の中にあった。
大学を卒業してバブルがはじけ、就職せずに地元でバイトしてた私に、人生はじめて彼ができたのも、相手が英語圏の人間だったから、自分を出しやすかったのかもしれない。(彼の勉強のためと思って、会話はずっと日本語だったんだけど)
日本で私はぜったいムリだと思ってた就職も、カナダで挑戦した。
ぜったい向いてないと思った接客業につき、ニートな人間が、バスガイドまでやった。
ぜったいできないと思った結婚も、カナダでした。
想像すらできなかった自営業も、カナダでチャレンジした。
ぜったいもう遅いと言われ、あきらめた赤ちゃんもカナダで産んだ。
店が失敗して、夫婦で無職になって、45歳で人生終わった、と思ったけど再就職も果たして、メンタルも体力も復活してきてる。
やっと家族で平和に生活できそう、と思ったらJJの発達障害が分かって、大ショック。目の前が真っ暗になった。どうしていいか分からなかった。
そんな中で50歳になり、いま子育てしながら長年できなかった「文を書くこと」「絵を描くこと」に挑戦している。
「話せない」英語を「はなせる」ようになったことで、人生が大きく変わった
世界が広がった
世界のいろんな国の人と友だちになり、人生を語り、励まし合えるようになった
たくさんの「できない」を「やる」
「ぜったいムリ」に「挑戦し続ける」人生
のこりの半世紀、しぬまで夢に向かって、うたれてもうたれても起き上がり、これからも幸せに向かってチャレンジしつづける。