小説が書けない。

【1日目】 夢うつつの中、お腹に圧迫を感じてハッと目がさめた。「アラームかけ忘れた!」カナダの冬は日の出がおそい。部屋は真っ暗だった。あわてて枕元のスマホの画面をさわると、7:29am。「ヤバ!JJ遅刻!」気がつくと隣に寝てた4才の息子JJが、めずらしく頭でグイグイ私のお腹を押していた。2021年1月16日。まゆみ、49歳。何十年も小説が書けない女が、とうとう小説を書きはじめる日がきた。

 何年かまえ、日本で芸人さんが文学賞を受賞した。ニュースをきいた瞬間「先こされた!」まずそう思った。うらやましさで体がカッと熱くなる。いそがしいはずなのに、彼は仕事の合間に時間をみつけてはコツコツ書きつづけ、作品を完成させていた。本業があるのに立派な小説を書きあげ、それが世に認められることが可能なんだ。

 「仕事がひと段落ついたら」「夫のギャンブルがひどくて自分は不妊うつって、誰がこんな暗い話よみたいんだよ」「母が死んじゃった。ショックでもうムリ」「いま子育て中だし」「店が倒産しちゃって今それどころじゃない」まゆみが小説を書けない理由は、人生に起こり続けた。49歳のまゆみが人生で唯一クリエイトしてきたのは「小説が書けない」言い訳だった。

 気がついたら3月でもうすぐ50歳になる。4年まえ、カナダで夫と12年つづけた食堂の拡張をきめ、新店舗をみつけて契約した直後、妊娠が発覚した。45歳でぶじ出産した半年後、まさかのタイミングで新しい店はつぶれ、莫大な借金を背負い、乳飲み子をかかえて一家はカナダで路頭に迷うことになった。まゆみも夫も毎日死ぬことを考えた。

 州の景気がどんどん悪くなっていってたこともあって、知り合いの老舗プリント会社もその年に倒産した。その印刷会社は、ウチの食堂がオープンする前から同じビル内にあって、カナダ人社長のケントは毎日ランチをテイクアウトしてくれた。もとミュージシャンの彼は、長身でダークブロンドの髪をいつもタイトになでつけ、気さくで謙虚。夫の作るチーズオムレツが大好きで、朝食メニューが終わったランチの時間中に「わるいんだけどシェフに作ってもらえるかきいてみてくれないかな〜」と申し訳なさそうに電話をかけてきた。「10分後にとりにきて下さい、って」と返事すると「うわ〜、ありがとう」と言って、スリムジーンズ姿で小躍りするようにやってきて、ニコニコしながら、夫特製のフワッフワのオムレツをうれしそうに受けとり、必ずチップを置いていってくれた。

 ウチの新しい店が失敗に終わって、どん底にいたころ、ケントの印刷会社も人員削減をしているというニュースを人からきいた。そして数ヶ月後正式に倒産が決まり、社員全員にさいごの給料を支払った翌日、ケントが自宅のベッドで冷たくなっているのを息子さんが発見した。事件にはならなかったけど、倒産の責任を負って自殺したことは彼を知っている人には痛いほど分かった。

 私も夫も一歩まちがえばケントと同じ道をたどっていた。死はすぐそこにあった。まゆみが死の淵でギリギリなんとか踏みとどまったのは、小学校にあがったばかりの長男と、生まれたばかりのJJがいたからだった。あのとき小さな子供がいなかったら、2人は確実にケントと同じことをしていた。倒産を何とか食い止めようと、夫婦で必死に頑張った時期。朝起きるのがつらくて、ムリに心をふるいたたせては、毎日心が折れた。倒産を決めた一瞬だけ、その苦しみから解放されたが、倒産後は想像をこえる地獄がまっていた。

 朝起きられないどころか、恐怖で両腕がしびれ、明日への不安で心臓がしめつけられ、母乳しか飲まないJJの授乳も上の空だった。オムツもいつかえたのか分からない。夫婦で移民で、頼れる家族が誰もいない外国で、これから家族4人どうして生きのびたらいいんだろう。自営業だったから倒産しても、失業手当も産休手当も何もでない。ウチは借金返済をいったん放棄する破産さえできなかった。

 まいにち毎日、24時間思考がグルグル回り、不安が止まらず、朝まで一睡もできなかった。窓の外が明るくなる。私たちに未来はないのに、世間ではまた新しい1日が始まるのが恐ろしく、JJをベビーカーにのせて長男タラちゃんを小学校に送っていくと、校庭の芝生のむこうから大きな夏の太陽がのぼってきた。まわりは親と子どもたちが何の心配もなく、日常生活を送っている。誰も今にも叫び出しそうな私の苦悩を知らない。幸せそうな日常のワンシーンの中で、まぶしすぎる朝日をあびて、生きる恐怖で発狂しそうだった。



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みゆま
人生どん底だけど、夢にむかって歩きつづけます。読んでくださってありがとう✨