小説家チャレンジ19日目。
カナダはきょう立春。気温は-15℃に逆もどりして、夜中にふりはじめた粉雪がしんしんとつもっています。
2年生で完全に落ちこぼれ、リアルなところ単位も出席日数も足りていなかったまゆみ。みんなと一緒に3年生にはなれないだろう、と思っていた。ダブり確定。でもこわくて親にも先生にもそのことを相談できなかった。きっとそのうち担任によばれる、親にも高校から呼びだしがあるにちがいない。
そう確信していたのに学年末になり、春休みもおわって何のお咎めもなく、まゆみはなぜか3年生になれていた。いまだにあれは先生方、とくに担任の先生が助けて下さったのだとと思っている。3年になって文系コースになり、苦手な数学や物理からのプレッシャーは少し減ったものの、遅刻はつづき学校での居場所はなかった。
進みたい大学をめざして、みんなが本気で受験勉強している流れについていけず、まゆみは美大受験予備校の補習クラスに行ってみたり、祖父の友人だった地元の画家さんに会いにいったり、留学の説明会をききに行ったり、何も定まらずにいた。
留学の説明会のために、東京までなんどか足を運んだ。とうじまゆみが唯一やる気をだしたのが、海外に行くこと。高校の成績はダダ下がりだったが、英語の勉強は好きだったしがんばっていた。留学に関する本をたくさん読み、情報が集められる機関をさがして、あちこち出かけていった。
アメリカ大学の留学経験のある人に話をききにいったり、さいごには留学関連の著書で有名なカウンセラーに予約をとり、制服姿で早朝に広尾の事務所を訪れた。
そこは高級なマンションの一室で、デスクのある部屋に通され、緊張でカチカチになって待っていると、本のカバーで見たことのあるメガネをかけた女性カウンセラーがあらわれた。
そこで留学生活はどういうものか、どんな選択があるかなどいろいろお話しがあり、そして意外なことに「あなたはいきなりアメリカ大学受験に挑戦するより、まず日本の大学に行って、そこで取った単位をいかして入学する方が、向いていると思う」とりあえず両親に留学の説明会に来てもらって、今後どうするか親子で考えたほうがいいと思う、と言われた。
もう高校3年生の冬だった。留学を考えていたので、日本の大学進学をまったく考えていなかった。周りはもう大学受験さいごの追い込みに入っているさなか、1人ポツンと取り残されていたまゆみ。そのご説明会に行った両親も、大学進学には賛成だった。
もう受験まであと2ヶ月くらいしかない時期。まゆみは得意な国語、英語、歴史だけで受験できる近郊の大学を片っぱしから調べはじめ、大学の説明会や下見に1人ででかけて、願書を出した。地元の書店に受ける大学の赤本を買いに行き、とにかく自力でそれのみ勉強した。高校では誰とも接点がなかったので、まゆみが受験することは誰にも聞かれず誰も知らなかった。
同じ高校からおなじ大学に受験するばあい、同級生といっしょに行ったりするらしかったが、まゆみはどの受験会場でも1人だった。けっきょく4校の文学部にしぼって受けて、なんとか一校だけ受かり、二次の面接に進んだ。その結果も1人で電車を乗りついで見に行き、構内のガラスケースの貼り紙に、じぶんの受験番号を見つけたときは、さすがにうれしかった。その場ですぐ両親に電話したのを覚えている。
受験ラッシュがおわって、久しぶりに高校に登校すると、私の顔を見かければ渋い顔でゲンコツしつづけてきた担任が、見たこともない笑顔で歩みよってきた。「大学受けてたんだな。受かってたならちゃんと報告しろよ」と安心した表情で言って去っていった。私は知らなかったのだが、県で出している新聞に、大学受験の合格者の名前がでる回があったらしく、先生はそこでまゆみの名前を見ておどろいたらしい。
そのとき1年間ずっと嫌われ続けていると思った担任が、じつは自分のことを心配してくれていたことを初めて知った。そのあと教室に行くと、そんなに親しくないクラスメートが駆けよってきて「まゆみ、大学受かってたんじゃん!知らなかった!おめでと〜」と言ってハグしてくれた。留学のために急に決めた大学受験。たった2ヶ月ていど勉強会して、受かるわけないと思ってたけど、合格したら意外にもみんながよろこんでくれて、高校で日蔭者みたいにくらしてきたまゆみは、あかるい場所に出られたようで、うれしかった。