小説家チャレンジ50日目〜50歳から幸せになる〜
さいきん新しい服を買った。
ひとりでお店に行く。 好きな服をさがす。 試着する。
そんな贅沢なこと、もう何年もやっていない。
久しぶりにしたらすごく楽しかった。
4年まえに自営業の店が倒産してから、ずっと厳しい生活がつづき、たとえTシャツ1枚くらい買えるお金があったとしても、もう自分の服が買えないメンタルができあがってしまった。
クライシスで危機感が強くなりすぎて、生きるために必要でないものを買おうとすると、ストップがかかる。
お金があったら、まず『子供の食べもの』家のローン、電気代、クレジットカードなど『支払い』に回す。
そして余裕があれば『子どもの服』『夫の服』
じぶんの服、化粧品はいちばん最後。必要なのにほとんど買えない、買わない。
それがさいきん友人、元上司のおかげで政府機関でパートさせていただけることになり、数年ぶりに少しずつ生活によゆうがでてきたら、少しずつじぶんに変化が起きている。
1週間まえ、ふと
『じぶんの洋服買いに行ってみようかな』
とおもった。
たった20分しか時間なかったが、アウトレットの服屋さんでササっとスカート1枚、トップス3点をえらび、合計100ドル内、1万円以下におさめた。
そしておとといお給料が入ったタイミングで、すきなブランドの閉店セールにいき、ジーンズ1本とシンプルドレス1着を、たった40ドルで手にいれる。
けさはCostcoで買い物中に、有名ブランドのTシャツが、格安の10ドルになっているのを見つけた。
帰ってすぐそのTシャツをきて、先日手に入れたジーンズをはいてみたら、気持ちがリフレッシュされエネルギーがわいてくる。
新しい服っていいな
新しいものを着るってうれしいな。
さいきんになってやっと
ふとした瞬間に
しあわせと喜びを感じられるようになった
はじめて再就職先の立派なオフィスで、最新のシステムをつかって働き、きれいな休憩室でお弁当をたべたとき「私がこんないい思いをしていいのかな」と思った。
さいしょは自分にふさわしくないような 後ろめたいような気がした
でも仕事にも慣れ、新しい環境にもなれると
「私、こうやって快適な条件で働いたり いいお給料もらったり、新しい服をきて 気持ちよくすごしたり
もっとしあわせに生きていいのかもしれない」
と
素直に思える瞬間がふえてきた。
たぶんカナダにきてはじめて。
たぶん学生時代いらいに。
自分がしぜんにそう思える時間がふえるたび ありがたいことを素直にうれしく受けとれるたび
心からのぞんでいたしあわせが、ふと手に入るような気さえしてきた今日このごろ。
私のなかから「何か成しとげなければ」という焦りが消え、過去やすべての受容がすすみ、
きょう1日をおちついて生きることができるようになり、
なにかコツをつかみかけているような、
ゆっくりと流れが大きく変わってきているような、
地球の自転にゆっくり合わせられているような、
護られているような、
祝福されているような、
まだなにも起きていないのに
いわれのない安心感と幸福感につつまれている。
20年前にひとりで日本をはなれてから
10年前に母を亡くしてから
いっさい感じることのできなかった この感覚
50歳をすぎてもどってきつつある。
このまま宇宙に身をゆだねてみよう
じぶんではない何かの意思に