絵を見る意義
学習指導要領によると、美術教科の内容は「表現」と「鑑賞」とに分かれています。表現と鑑賞は互いに補完しあい、どちらも欠けては成り立たないということが書かれています。
僕が子どもの頃には美術の鑑賞ってあったんだろうか?というくらい鑑賞といえば音楽鑑賞や映画鑑賞のことでした。
もちろん絵を描くのは好きだったし、親に連れられて展覧会を見に行くことは他人より多かった方だと思いますが…僕の日常の中で鑑賞といえばやはり音楽や映画のことでした。
また、作品を味わうということについて、美術作品より音楽や映画の方が心の中で咀嚼して学ぶことが実感として多かったと思います。(ここでの音楽はポップミュージックのことだし、映画はハリウッドのことなので、それと美術作品を比べるのもナンセンスかもしれませんが)
では、美術鑑賞とはどういう意義があるものなのでしょうか?
美術教育において鑑賞教育は重要だということは、近年いろんなところで叫ばれているし、僕も直感的にもわかっていることでした。
しかし、それが「どう社会にとって意義あるものなのか」ということを整理せずに実践を繰り返していた感があります。
先週、「鑑賞教育の充実のための指導者研修」というものに参加してきました。
その中で講演や事例報告、ワークショップ等を通して、鑑賞教育の社会的な意義について学ぶことができました。
その意義とは、
「多様性を認める」こと
「新しい価値をつくりだす」こと
です。
これは、大きく言ってしまうと、最終的には差別や争いのない平和な世界をつくること…に繋がっていくのかなと思います。
アートは、印象派とか現代アートとか作品としての価値だけでなく、僕たちの日常の奥深くまでその影響が浸透しているということが重要だと考えます。
つまり、
世の中の「見方・考え方」です。
鑑賞教育の充実のための指導者研修では、全国から集まった教員や美術館学芸員の方々とともに10人ほどのグループに分かれてワークショップを行いました。
僕のグループ(小学校、特別支援学校、美術館)では、中世の宗教画を鑑賞しました。
いつもならこの手の絵は素通りするのですが(僕の好みは現代アートなので)…。
グループで見たことを話して共有しながら鑑賞すると、1人で見たときには気づかなかったことを他の方がどんどん見つけてくれて、みんなで絵の世界に入っていきました。
みんなで鑑賞をしたお陰で毛嫌いしていた宗教画への見方が変わりました(多様性を認める)。
また、絵に込められた世界観やメッセージに触れることができ、この一枚の絵を鑑賞した体験が僕の中に鮮明に残りました(新しい価値をつくりだす)。
10人いれば10通りの「見方・考え方」があり、それを知ることで自分の「見方・考え方」が深まっていくことに気づかされました。
ぜひ、家族や友達と一緒に美術館へ!
そして、一枚の絵に足を止めて味わってほしいなぁと思います。
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