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ケセラセラ【#ウェルビーイングのために #創作エッセイ】
人生は選択の連続。人生に迷い、選んだ道を後悔することも多い人もたくさんいるのだろう。
運良く生きていけたら、どれだけ楽だろうか。
「そんなに人生甘くないよ」と誰かに言われそうだけど、きっとみんな心のどこかでそう思っているんじゃないかな。
人生に迷ったとき、私はとことん調べて、それを誰かに話して、一緒に考えてもらうのが一番。それができる環境や状況であれば、私もそれを優先的に選ぶと思う。
しかし、誰しもが調べられたり、誰かに相談できたりできる状況とは限らない。
自分で考えて選択しなければならない状況だって、当然あり得る。そんな時に幸運に恵まれたら、どれだけ幸せだろうか。
宗教や文化的な考え方で、神や仏に祈ったり、徳を積んだりすることで幸運に恵まれるようなこともあるのかもしれない。
けれど、私は自分を好きでいることが、幸運に恵まれるためには必要なことだと考えている。
人が迷うのは自信が無く、不安を感じているから。そして選択を後悔したくないという思いから。
だから、私は自分のこれからの人生を不安に感じて落ち込むぐらいなら、「なんとかなるさ」精神で過ごしていた方が、今という時間を無駄にしないのではないだろうかと考えている。
昔、本気で悩んだことがあった。
学生時代に友人との関係性について悩んだ。
当時の私は、それを親や別の友人など誰かに相談できるような状況ではなかった。
だからこそ、悩んでいる時間も長かった。
遠回しに関係性で悩んでいる友人、本人に対してこれ以上の関係を絶つような態度や言葉を投げかけても、やはり曖昧な表現では相手は納得してくれない。しかし、はっきりと相手に言葉をぶつける勇気がなかった。
ある日、相手のほうから行動があった。
私との関係性をより深めたいという内容だった。
そこで私は自分の気持ちと向き合い、これは違う。と、はっきりと答えが出た。そして伝えた。
「もう、無理」って。
きっとその言葉は、鋭い刃のように冷たく相手に刺さっただろうなと、容易に想像が付いた。申し訳ないという気持ちもあったけれど、あの時の私にはそれしかできなかった。
それ以降、学校に通う間もずっとその友人と会話することもなく、目も合わせなることもなくなった。
当時の私は、とても後悔していた。
友人を失ったからではない。
もっと早く答えを出していたら、学生という貴重な時間を他の時間に有効的に使えたんじゃないかと。
私は何かに悩んでいるときは、他のことが手に付かない。同時進行で生きていけるほど、器用じゃない。悩んでいる時間がもったいない。
そうした思考へとたどり着いた。
それから、私の座右の銘は「ケセラセラ」というフレーズになった。
この言葉の語源はスペイン語らしく、「人生は自分次第でどうにかなる」というらしい。今では、なんとかなるさという意味でも用いられる言葉。
自信があるわけではない。それでも、なんとかなるんじゃないかって、気楽に構えている方が、意外と上手く事が運ぶこともあった。くよくよ後悔している時間があるなら、その時間を有効的に活用する方法を考えた方が有益なはず。つまり、意識が前向きな自分なら、きっと上手くいく。そう信じることにしたのだ。
どんなに辛いことがあっても、自信を失うようなことがあっても、自分を嫌いにならないようにしたい。
後悔するということは、過去の自分を否定することになる。だから、今ではもう、あの体験は自分が成長するためには必要だったことなんだ、時間をかけて悩み出した答えは、これからの未来に繋がるものだったと考えを改めた。
そうすることが、きっと運命を良い方向へと導くきっかけになると信じている。
これからもケセラセラって。