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ディベートは役に立つと腑に落ちた話 〜ディベートと交渉の比較から〜

※この記事の前提

先に断っておかなければならない点は、交渉とディベートは別物である、という点です。

ひろゆきの影響もあってか、ディベート≒交渉術≒論理的に相手を言いくるめて自分の望む方向に話を持っていく、という誤解があります。テレビ番組でもそのような理解で”ディベート”という言葉が使われている節があります。

交渉は自分と相手の二者間で合意を目指すもの、ディベートは相反する二つの立場から各々が同じ聞き手の説得を目指すものであり、コミュニケーションの形式としては別物です。(下図参照)

※「政府側(Government)」「野党側(Opposition)」という呼び方は英国式ディベートの場合です

さらに言うと、交渉術≒論理的に相手を言いくるめて自分の望む方向に話を持っていく、というのも誤解です。

比較優位という考え方

と、別物なんですよと書いてきましたし自分も別物と捉えていたのですが、根底にある考え方は同じなんだなと最近気づきました。

それは「比較優位」という考え方です。
ざっくり言うと、2つ(以上)の選択肢それぞれを取った場合に直面する現実を比較して良い方を選ぶ、という考え方です。

たとえば自動運転車を普及させるのは望ましいかどうかを考える場合に、自動運転車が事故を起こした事例をもって普及は望ましくない、と考えることがあります。

たしかに望ましくなさそうですが、比較優位の考え方に立つとこれだけではまだ根拠が足らないのです。現状は人間が運転していたところを自動運転に置き換えるのですから、「人間が運転する場合の事故のリスク」と「自動運転車が運転する場合の事故のリスク」を比べてみないことには、"自動運転車は危険だから"普及は望ましくないと結論づけることはできません。

ディベートと交渉の共通点

ディベートの場合は肯定側(政府側)がテーマに沿った政策を提案し、否定側(野党側)は現状維持を支持する、という形で議論が進みます。つまり、政策を実行した後に直面するであろう現実現状を維持し続けた場合の現実という2つの世界線を比較する形になっています。

一方の交渉にはBATNAという考え方があります。Best Alternative To a Negotiated Agreementの略で、交渉が決裂した場合に取りうる最も良い代替案のことを指します。

このBATNAをちゃんと持っているか、そしてちゃんと認識しているかが交渉では重要になってきます。BATNAを持っていることで「この交渉がダメでもこっちを選べばいいや」と心の余裕が生まれますし、BATNAと比べて悪い合意内容だった場合は交渉を降りれば良いと分かるので、その場の雰囲気や相手の圧に押されて不利益な合意を結んでしまう危険性も減ります。

そして相手のBATNAをできる限り正確に理解しておくことで、こちらからどんな提案ができるのか、何を譲歩して何を主張すればよいかが見えてきます。自分のBATNAを知るのは守りにおいて、相手のBATNAを知るのは攻めにおいて重要だと言えます。

と、少し交渉の説明が長くなりましたが、目の前の交渉で合意できそうな内容とBATNAとを比べて意思決定するのはまさに比較優位の考え方です。ただディベートと違うのは、ディベートでは「何をやるか」は試合開始時点で既に決まっていて変更ができないのに対して、交渉は合意内容を柔軟に変えられる点です。

自分に足りなかったもの

ああ同じなんだな、と気づいたことで、熟練のディベーターの方々が著書の中で書いているディベート思考は役に立つとかリーダーに必須のスキルだといった主張が腑に落ちました。

ディベートが役に立つのは実感してはいたのですが、それは論理的に言葉を紡ぐ力とか分かりやすく伝える力とか技法的な部分においてであって、ディベートのフレームそのものが役に立つとは腑に落ちていませんでした

なので、ディベートを熱心にやっていた頃を振り返ってみても、いかに論理の流れを構築するかとか、どんなエビデンスを提示するか、どう反論するか、相手の反論にどう返すのかといったことばかり考えていて、取りうる選択肢それぞれについてできる限り正確に把握して比較した上で結論を出すという根幹の部分にあまり意識が向いていませんでした。

ディベート歴数十年といった熟練ディベーターや、戦略コンサルタント出身のディベーターと試合をした時に感じていた「自分に何かが足りない」感覚はこれが原因だったんだと思います。

ディベートを交渉として捉え直してみる

ディベートをあえて交渉として捉え直すと以下の図になると思います。ディベートでは慣習として「引き分けは否定側に投票する」というものがあります。一つの理由として現状優位の原則という考え方があり、特に変える理由がなければ現状の制度、慣習、考え方を採用するというものです。裁判の推定無罪と似ていますね。なので現状維持というオプションは聞き手(ジャッジ)が持っているBATNAだと言えます。

主役は肯定側と聞き手(ジャッジ)の二者であり、否定側は肯定側の立論を踏まえてBATNAの再定義、再評価を行う構図になっています。

肯定側と聞き手中心のコミュニケーションにおいて、否定側がBATNAの再評価を行なっている構図

否定側が出すカウンタープランもBATNAの再定義だと言えるでしょう。「この交渉に乗らなくても、こうすればいいんじゃないか」という主張だと捉えられるので。

今からやること

・『武器としての決断思考』『交渉の達人』を読み返す。


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