平成3年(1991年)
この年も後に大きな影響をもたらす出来事が発生した。
①ソ連解体
超大国であり、世界最初の共産主義国家だったソビエト連邦が、この年、解体した。ただ当時の人々には意外な印象はなかったであろう。解体の2年前の1989年に、東欧の共産主義諸国が次々と1党独裁を放棄し民主化されていたし、1年前の1990年にドイツが統一されていたからだ。ロシアが再び、西側諸国にとって現実的な脅威となったのは、日本の年号で言うと令和になってからのことであった。
②湾岸戦争
イラクによるクウェート侵略は前年(1990年)であるが、湾岸戦争と言われているのは、1991年の多国籍軍のイラク空爆に始まるものであった。この戦争は、日本から遠いイラクの話では終わらず、日本のその後に影響を持つことになる。
この年、自衛隊は初めて海外に派兵された。海上自衛隊の掃海艇がペルシャ湾で業務を行ったのである。
米国は自衛隊を多国籍軍に参加させようとしたが、日本国内の反対でできなかった。小沢一郎は、この時の出来事を教訓に「まず社会党をぶっ壊さなきゃならない。そうしなければ適切な行動ができない。そのためには小選挙区制が一番、いいのではないか。」と発言、これが後の細川連立政権での衆議院の選挙制度改革につながることになる。
③育児介護休業法成立
育児や介護のために、仕事を休んでも良いことになった。今では信じられないことであるが、それまでは育児や介護で休業すると、解雇される可能性があった。1989年に出生率が大幅低下した、いわゆる1.57ショック(合計特殊出生率が1.57になったデータ)が示されたため、働きながら育児や介護ができるように法整備されたのである。
④牛肉・オレンジ自由化開始
それまでは牛肉といえば和牛だった。安い輸入牛肉は入手できなかったし、競争がなかったので和牛も高かった。従って、牛肉の消費が普及していくきっかけになったと言える。また、この年のオレンジ輸入自由化は「寒い季節は、コタツでみかん」という習慣を崩した。
➄悪魔の詩事件
『悪魔の詩』という著作がイスラム教の開祖ムハンマドを冒涜するものだとして、訳者の筑波大学助教授が殺害された。この事件は2001年のニューヨーク同時テロ事件と並んで、日本人のイスラム教のイメージを悪化させる出来事となった。
⑥女性党首辞任
日本の議会政治史上、初めて、女性で政党の党首となった土井たか子が統一地方選挙敗北の責任を取って辞任。土井たか子のブレーンの一人だったフェミニストの上野千鶴子は「私の役割は終わった」という言葉を残し、日本を跡にした。その言葉を受けて江原由美子(フェミニズム界のナンバー2)は「フェミニズムは終わったか」という文章を書いた。フェミニズムは終わったわけではなかったが、曲がり角に来ていることは確かだった。
1991年を振り返ると、この年は総じて、いわゆる国際化が進んだ年ということができるだろう。ただ今の時代から見れば、のどかにも見える。日本を取り巻く環境は、確実に悪化している。