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【愛着障害】男との経験を踏まえ、父性の大切さに気づいた。

こんばんは。あいらです。ふと思ったことを書いていきます。
障害者は生きてく上で必要なものが一つ多い説。
精神的な安定。

だからそれを埋めるために時間とお金を費やす。
無意識に気持ちの安定が優先順位が一位になってしまう。
私の場合はそれが「男」に走ってた。典型的なやつ。
それについて思い出語る。


ひどすぎる男関係

単刀直入に言うと私の経験人数は多分11人。
もちろん遊ぶ気なんて一ミリもない状態で。
今の人に出会うまで、いろんなタイプの人と付き合ってました。

オラオラ系

まずオラオラ系。ズバズば物事を決める男らしさが好きでした。
けど、オラオラの人って我が強い。相性がいいのは女らしさを持っている人。精神が弱ってる私は決断力もない。相当気に入ってくれてたと思います。
次第に精神が安定してくると、本来の自分が少し見えかける。主張が強く、かなり我がある自分。そんな自分を彼が受け入れるわけもなく。
意見をいうだけで、『生意気だ』と言われてしまう。

その人も家庭環境が最悪で。だけど自分を見つめてない部分が合わないと思ってお別れを切り出した。
その後、また精神がやられているところに再度連絡
復縁になりかけたが、私の発作より睡眠を優先私はいくら精神が弱っていても大事にしてくれない人に時間を費やさない決意をしている。
だからそのままブロックして消した。多分今もどこかで似たようなことしてるはず。

メンヘラ系

一年半近く付き合ってた人。今思うとかなりの愛着障害。人に興味がないタイプ。まだ私が未熟だった。メンヘラな重い部分がいいと思ってしまった。
悪口を友達に言いながら結局別れ話を繰り返して、表面の解決だらけ。

話し合いにも毎度1時間近くかかる。そして全て私の意見であり、彼の意見はない。意見を聞こうとすると逆ギレ。全部やることなすこと決めてほしいの一言。4つ上だったが、精神年齢があまりに酷く母性が爆発。
頑張って行為中に甘えてみるも、私の友達にその話を暴露したりと、最悪エピソードが積み重なっている。

ただその辛さがわかっていて1年以上も耐えていたのは私にその選択肢しかなかったから。この人でも離れたら私は一人では生きていけないという自信のなさが異常だった。

当時は物理的にも精神的にも束縛されていた。今思うと、ADHDの自由さの象徴である自分からしたらかなり耐え難い束縛ではあった。
勉強する場所、お金の使い所、会う頻度を固定で週五。正直これを耐えないと一人になり、また絶望という状況下であったためそういう生活をせざるおえなかった。

母親と父親からの恩恵

そういう男関係の根源はきっと愛着形成にある。片親で母親の不安感から、頼ることがわからない。自分の意見がしっかり持てない。意見が生まれたとしても否定されることがほとんどであり、自信がない。
安心感が欲しかった。それが発達障害の二次災害である不安障害を防ぐ保険として必要なものだった。

また、父親がいないことによるデメリットがある。
社会的役割とか立ち位置とか。ストレス耐性とか。自信とか。
そこかな。


父親を求める

片親の人って多分みんなこんな感じ。愛情を無意識に求めてる。頼り方がわからないなりに愛情を求めて彼氏を作る。そうなると、理想の父親像だったりになるらしい。
それこそ男性ホルモンが強くて、カッコ良くてって人に惹かれやすいんじゃないかな。だから結局従う側に成り下がる。
そこら辺含め、今研究中です。。

現段階でわかっていることは、愛着形成がうまく行っていない人は幼児退行をすることで満たそうとするということ。
父性を求める片親育ちの女の子はSMプレイに興味を持つということ。

以上の2記事を含め、『女性が幼児側になる赤ちゃんプレイ』があってもいいんじゃないか。
ーーということで落ち着いたら、実体験を含めた赤ちゃんプレイレビューやってみようと思います。

至って真面目です。


赤ちゃんプレイの経緯

なぜこんな話になったかというと、以前不眠症の私は寝落ち通話を漁っていました。その時出会った二人の娘を持つ父親。

寝かしつけ方が明らかにお父さん!って感じでなぜか凄い心地よさと安心感感じて。お父さんってこんな感じなのかなって思った。


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