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『どんなときでも自分にやさしく』をモットーに。 心身の大不調をきっかけに 生き方を変え…

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『どんなときでも自分にやさしく』をモットーに。 心身の大不調をきっかけに 生き方を変えてラクになった経験から、わたしなりの人生哲学をつらつらと綴っています。あなたの生きる世界が、やさしいものになりますように .*

最近の記事

「本性は追い詰められた時に出る!」って…本当?

追い詰められたときにこそ本性が出る! 追い込まれたときに見えるのが、その人の本当の姿だ! ……みたいなハナシ、聞いたことありませんか? 昔はこれに対して「確かにそうかもなぁ…」なんて思っていたこともあったのですが、今はちがいます。 だってさ、『窮鼠猫を噛む』って言葉があるように、追い詰められたときなんて、生物として絶対平常心でいられるはずないし、正常な判断ができるわけないんだよね。 どんな動物だって、生きるか死ぬかの状況に追い込まれたら、いつもの自分ではしない行動をと

    • 良好なパートナーシップのためにも、やっぱり“自分を知る”のが大切だった話。

      先日、夫と久しぶりに喧嘩をしました。 ショックなことを言われて、ずーん……となったのですが、その出来事に向き合ってみて、良好なパートナーシップのために大切だなって思う気づきがあったので、シェアさせてもらいますね。 1.自分と相手では “見えている世界が違う” ことを理解するまずね、大前提として、パートナーとして色々なことを共有しているとはいえ、自分とパートナーでは、「見えている/感じている世界」が全く異なっていることを理解しておかなければなりません。 わたしは長いことド

      • 「普通」になんて、なれなくてもいいんだよ。

        過去を振り返ると、わたしはずっと「普通」になりたいと思っていました。 わたしにとって「普通」とは、「周囲のみんなと同じであること」。もしくは「みんなと同じことができること」。 「普通」でいれば、みんなの仲間に入れるし、認められる。でも逆に、「普通」じゃなければ、みんなの仲間には入れない。認められない。孤立してしまう。 だから本当の自分はひた隠しにして、みんなと同じであることをアピールする。それがこの世界で上手く生きていくため、自分を認めてもらうための唯一の方法なんだ!

        • 幸せに生きるために「成果」は必要なかった。

          突出したトクベツな才能はない。 ⁡そのくせ、繊細で打たれ弱いっていう、厄介な特性は持ち合わせていて。 ⁡ せめて“普通”でいなければと必死に“普通”な自分を作り上げようとしたけれど、それも上手くいかず。 ⁡ それならばもう、目に見える成果とか、何者かである証拠とか、そういうものを手に入れるしかない。そういうものがないと、幸せになれない…! そんなふうに思っていました。 だから、すごいキャリアがあったり、目に見える何かしらの形で結果を出している人と自分を比較して、「自分はな

        「本性は追い詰められた時に出る!」って…本当?

        • 良好なパートナーシップのためにも、やっぱり“自分を知る”のが大切だった話。

        • 「普通」になんて、なれなくてもいいんだよ。

        • 幸せに生きるために「成果」は必要なかった。

          人生のストーリーを展開していくためには。

          わたし、ポケモンのゲームが大好きでして! 新作である「ポケットモンスター スカーレット・バイオレット」が先日発売されたので、日々ちまちまとプレイしております。 その中で、「これ、実際の人生ともつながるよなあ・・・」と思ったことがあったので、残しておこうと思います。 – – – – – – ポケモンのゲームでは、以下のような大まかな流れがあります。 で、この流れの中で、その作品ごとのストーリーに沿ったクリア必須のイベントがいくつか起きてきます。 その場その場でひと

          人生のストーリーを展開していくためには。

          シンプルな本質を知るための遠回り。

          人生とか、物事の本質って、実はすごくシンプルなものだったりする。 だけど、そのシンプルな本質を理解するためには、一旦複雑なところを通ってくる必要があるんだよね。きっと。 - - - 過去の自分を振り返ると、無理な生き方をしてきたな〜って思います。 自分を否定して、他人を正解として、比較して、苦しんで、もがいて。 心身を壊すまで、そんな生き方をずーっとしていました。 超シンプルに、「自分を大切にする」「自分を受け入れる」だけでよかったのにね。 そこに辿り着くまでに

          シンプルな本質を知るための遠回り。

          心の闇は、自分を彩るエッセンス。

          先日、車の運転中に、とある悲恋ソングを聞いていました。 メロディも歌詞もとっても好きで、聞くたび胸がキューッとなるのですが、悲恋なので「ひたすら幸せ♡ハッピー♡」みたいなストーリーではありません。 切なくて、悲しくて、だけどどうしようもなく愛しい。そんな感情が表現されている歌。 「悲しみ」「切なさ」「痛み」。 進んで感じたいとは思わないし、決して“良い”とは言えない感情だと思います。 でも、それでも、わたしはそんな感情から表現された作品に、無償に魅かれたり、美しさを感

          心の闇は、自分を彩るエッセンス。

          現実が、自分の内側の反映なのだとしたら。

          望まない現実が目の前にあるとき、それをどうにかしなきゃ!と必死にもがいたりする。 物理的に変えようとしたり、目に見える形で変化させようとしたりして。 それが身を結ぶこともあるとは思うけれど、それよりもまずは、じっくりと自分の内側に向き合う必要があるのだと思う。 - - - - - “外側の世界は、自分の内側の反映”という話を、聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。 過去のわたしはそれを聞いても、「そんなことあるわけない!」「現実で起きていることは、自分には関

          現実が、自分の内側の反映なのだとしたら。

          「得られるもの」と「失うもの」。

          いきなり引用から始めてしまいましたが、上記のように、「物事には両面がある」そして「それらの大元は一つである」というような言葉ってたくさんあると思います。 「長所は短所」とか、「失敗は成功の母」とかもそうだよね。 言い方を変えると、同じ物事でも、どの側面から見るかによって全く異なって見える、ということ。 以前のわたしは、とにかく“失ったもの”ばかりに目を向けがちで。 自分という人間の特徴は「短所のみ」としか思えなかったし、「失敗してきたこと」は人生の汚点で、120%ない

          「得られるもの」と「失うもの」。

          伝えたい言葉は、伝わる人に届けばいい。

          自分が伝えたいことを発信しようとしたとき、思いを綴っては、 「でも、こういう人にとっては、わたしの言葉は意味のないものになってしまうかもしれない…」 「こういう人には、わたしの言葉が逆の意味で捉えられてしまうかもしれない…」 「こういう人にとっては、この言葉は不快に感じられるかも…」 「こういう人には当てはまらないかも…」 「こういう人を傷つけてしまうかも…」 「こういう人には否定されるかも…」 なんてぐるぐる考えて、結局口を噤む・・・みたいなことが多くありまし

          伝えたい言葉は、伝わる人に届けばいい。

          その理想、諦めの上に成り立っていませんか?

          前回、理想を描くことが大切、というnoteを書きました。 このとき、自分の理想に改めて向き合って見えてきたのが、“今までわたしが理想だと思っていたものは、実は諦めの上に成り立っていた”ということでした。 – – – – – – わたしの愛犬(大型犬)は、散歩中に他犬に吠えるという行動が出るのですが、これを改善するために、今までたくさん奮闘してきました。 それにより改善はしてきているものの、完全に吠えなくなるまでにはまだ遠く。 大型犬なので、興奮して引っ張ったり、吠えた

          その理想、諦めの上に成り立っていませんか?

          自分を縛る “現状” という鎖を外そう。

          少し前まで、かなり落ちていました。 noteも全然書き進められず、大好きな本も読む気にならず、何があるわけでもないのに謎に気分が落ち込み…。 最終的には、 なんて考え出す始末。 頭に思い浮かぶのは、望まない状態のイメージばかり。 過去/現在/未来について考えれば、すべて良くない想像につながっていく。 自分らしく生きるという軸すら、いつの間にか、【自分らしく生きなきゃいけない】という呪縛に変わり、 【自分を活かして生きられていないわたしはダメだ】 と自己否定に繋げる

          自分を縛る “現状” という鎖を外そう。

          安心して逃げていい。休んでいい。何もしなくていいよ。

          ⁡ わたしの愛犬は、特定の状況下で、他犬に対して吠えるという行動が出ます。 ⁡ 現在進行形で、日々環境を整えながら、愛犬が “自ら” 吠えないことを選べるように取り組んでいるわけですが。⁡ 少し前、想定外の出来事により、愛犬を吠えさせてしまう場面がありました。しかも2日連続で。 ⁡以前だったら、「失敗させてしまった・・・」「よくない経験を重ねてしまった」と落ち込んだり、自分を責めたりして、後悔を引きずっていたと思います。 そして、その失敗をなんとか取り戻そうと必死になっ

          安心して逃げていい。休んでいい。何もしなくていいよ。

          “自分”のままで生きている人って、やっぱり魅力的。

          わたし、大食いアイドルのもえあずちゃんが好きなのですが。 別に、きゃぴきゃぴきゅるるん♡なカワイイ子が元から好き!ってわけではないんです。 じゃあ、なんで好きなのかな?って考えたとき、一番大きなポイントは、やっぱり “自分” を貫き通してるところだと思うんですよねえ。 他者からの見え方や評価を気にして、それに沿おうとするのではなくて、“自分が” こう在りたい!こうしたい!これ食べたい!を、そのまま表現/体現しながら生きてる感じ。 もえあずちゃんのyoutubeの動画、

          “自分”のままで生きている人って、やっぱり魅力的。

          わたしは “わたし” を表現するために生まれてきた

          「なんのために生まれてきたんだろう?」 「わたしは、なんのために生きてるの?」 「自分の人生って、なんなんだろう?」 過去に、何度も何度も考えてきたこと。 考えたところで答えは出なくて、だんだん病みモードに入ってしまうから、途中で放棄したりしながら。 ただ、最近はこの疑問に対して、“こういうことなんじゃないかなあ” と思うことがあるので、現時点でわたしが感じていることを、残しておこうと思います。 ◆ “コレ”という明確なゴールはない 人生には、明確に“コレ”というよう

          わたしは “わたし” を表現するために生まれてきた

          全てが嫌になったときに、見直したいこと。

          先日「あーなんか、もうやだな」「全部投げ出したいな」「人生終わりにしたいな」と、思った瞬間がありました。 ふとしたときに、こういう絶望感とか無力感に襲われることがあって。(たまにね) 先日はそんな自分に自分で気づいたので、状況と気持ちを深掘りして、スマホのメモに書き出してみたんです。 そしたら、まあ、無自覚に自分の中で抱え込んでいたものが出てくる出てくる! 状況としては、“普段通りの日常から外れたこと”がいくつも重なって起こっていました。 そして、その状況から連想さ

          全てが嫌になったときに、見直したいこと。