ショートショート7 『勃起浮遊』
俺は今、勃起浮遊している。
『勃起浮遊』というのは俺が今体験しているこの現象について俺が名付けたものだが、そんなことはどうでもいい。
色々あって俺は今、社員寮の自分の部屋で1mほどの高さのところで宙に浮いている。勃起したイチモツを中心に引っ張られる形で浮いている。
『だ、誰か、助けてくれ…』
浮遊してる俺を、勃起浮遊しているこの俺を…
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俺が勃起浮遊するまでにあった"色々なこと"というのはこのようなことだ。
そもそも俺はしがない普通の会社員で、今日だって、2時間ほどの残業をした後で、社員寮のこの部屋に帰ってきた。
部屋に帰ってくるとまず俺がするのが、SNSに投稿されたエロイラストやエロ漫画を鑑賞することだ。
今から2年くらい前、AVに飽きてエロ漫画雑誌に手を出し始めた頃、気になったエロ漫画家のSNSをたまたま覗いてみたら、ネット上の神絵師たちが大量のエロイラスト、エロ漫画を投稿していることを知った。
こういう時の男というものは案外腰が軽いもので、SNSなんてやらない主義だったのに、俺はすぐにエロイラスト・エロ漫画鑑賞用のアカウントを作った。
最初は知ってる作家2〜3人しかフォローしてなかったが、神絵師が神イラストを拡散するためどんどんフォローの数が多くなっていく。そして、新たにフォローした神絵師がまた神漫画を拡散して、俺がそいつをフォローする…このエロの永久機関が完成するのは早かった。
仕事から帰ってきて、ベッドに仰向けに倒れ込むと、タイムラインに大量に流れてくるエロイラスト・エロ漫画を鑑賞する。これが俺の大切な日課なのだ。
このアカウントを作った当初は、刺激的なエロイラスト、エロ漫画を見るたびに勃起していたが、流石に2年もこの生活を続けていると、ちょっとしたエロイラストなどでは勃起しない耐性がついていた。
今日だって、タイムラインに流れてくるたくさんのイラストや漫画にいいねしたり、拡散をするものの、特段、勃起するようなものはなかった。
だが、今日は一味違った。
タイムラインを最後まで更新して、今日はこんなもんか…と思って、晩飯を用意しようと思った矢先、スマホに通知が来た。
どうやら、とあるエロ漫画家が何かのイラストを拡散したようだ。このエロ漫画家は、絵柄とかストーリーがすごく気に入ってる漫画家で、単行本も何冊か持っているのだが、この人の拡散するイラストや漫画が俺の性癖とあまりにも合致しすぎるので、この人が何かを拡散すると通知がくるように設定しておいたのだ。
『でも、最近、飯とか旅行先の画像が多いんだよな…』
今回のもそういうものかと思って、あまり期待せずに見に行った。
これがいけなかった。
イラストを投稿したのは見たこともないアカウントで、アイコンも初期設定のものだった。
そいつが投稿したイラストは、俺も好きでずっとやっている『グリーンスクールカースト』という、ダークな世界観と美少女が売りのソシャゲで、最近、実装された新キャラ『シギ』の新衣装のエロイラストだった。
そのイラストを見た途端、久々に勃起する感覚に見舞われた。
その瞬間、俺は感謝していた。
この俺がまだエロイラストで勃起できることを教えてくれたことに、そして、勃起させてくれるようなイラストを描いてくれたこの神絵師に。
普段リプライなんて飛ばさない俺だが、流石に「ありがとう」の一言を送らざるを得なかった。
そして、こんな神エロイラストを描いてくれた絵師に対して俺が送ることのできる一番の賛辞は、マスターベーションすることだ、と、本能的にそう直感した。
そうして、ベッドの枕元に置いてあるティッシュに手を伸ばした時、違和感に気づいた。
ティッシュ箱に手が届かない。
このティッシュ箱はいつ何時でもティッシュが取れるような位置にセッティングしており、手が届かないはずがない。
しかもおかしいことに、俺の体と同じ高さにあるはずのティッシュ箱が、なぜか俺より低い位置に置かれてある。
『…は??』
気がつくと目線がいつもより高い位置に来ていることに気づいた。いつもなら寝転がっているだけじゃ視界に入らない窓枠の下側が、今は目の前にある
他にも色々考えるべきことはあったが、今はそれどころじゃなかった。
俺はこの神絵師の神エロイラストにマスターベーションで報いる義務がある。
とにかく俺は、ティッシュ箱に腕を伸ばしやすいうつ伏せになろうと寝返りをうった。
しかし、腰のあたりで何かがつっかえる感覚があって寝返りすら満足にできなかった。
昔、祖父の見舞いに行った時に、老衰した祖父が1人で寝返りを打つこともできなくなっていて、看護師らに手伝ってもらっていたことを思い出した。
もしかして、あまりにも強い衝撃で身体がおかしくなってしまったか…なんて冗談半分で考えながら、股間の方に目をやった。
大勃起していた。
ズボン越しでもわかるくらいの大勃起だった。いつもの勃起は比じゃないぐらいの勃起だった。ありえないくらい大きかった。あまりの大きさに驚きを隠せなかった。
勃起しているという感覚はあった。その感覚からこれくらいの大きさだろうという予測があった。
しかし、その大勃起はその感覚から推測できる大きさを遥かに超えていた。
これはあれだ、初めて高知県の桂浜に行った時に坂本龍馬像を見て感じた感覚、あるいは、広島の厳島神社の大鳥居を見たときの第一印象、あれと同じだ。
想像してた何倍もでかい。
教科書の写真から想像される大きさの何百倍もでかい。
それと同じ感覚だった。
あまり大きさに動揺を隠せなかったが、一度落ち着いて観察する必要がある、と思って一旦、あぐらをかく体勢になろうとした。
ところが、足がつかなかった。
それどころか、ベッドに身体がくっついてなくて、大勃起を中心に体が逆「く」の字に曲がっている。
『…お、俺、もしかして…』
『浮いてる!??』
浮いていた。
しかも、大勃起を中心にして浮かび上がっていた。
慌てて手足をばたつかせたが、浮いた身体が落ちることはなく、逆に浮くこともなかった。
壁に手を当てて身体を下ろそうとしたが、力の入れ方が難しく、大勃起を軸にしてコマのように身体がゆっくり回転するだけだった。
浮遊に対して自分が無力なことに気がついた俺は、その時頭に思い浮かんだことをそのまま口に出していた。
『ぼ…勃起浮遊…してる…』
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と、まぁこういう色々があって、俺は今、勃起浮遊しているわけだ。
勃起浮遊し始めてから10分ほど経ったが、今だに身体が沈む感じはなく、逆に浮き始める感じもしない。ずっと、ベッドから1mくらいのところで浮いている。
ただ、勃起は止まらない。
普通、エロイラストを見て勃起しても5分もすれば元に戻るのが普通だろう。しかし、この大勃起は元に戻る気配すらない。
『俺はこのまま一生、勃起浮遊したままなのか…?』
誰か助けを呼ぶということも考えた。
この社員寮は壁も天井も薄いから、大声を出せば誰かしら同僚が助けに来てくれるはずだ。
でも、俺は今、勃起浮遊中なんだ。
こんな姿を見られたら、次の日からは会社の笑い物、俺は大勃起浮遊マンとのレッテルを貼られることになる。そんなに、俺は耐えられない…。
俺はただ、エロイラストで1人楽しくマスターベーションしようとしていただけなのに…
『ん?待てよ…』
そうだ、マスターベーションだ。
勃起を治める一番の特効薬はマスターベーションじゃないか!
俺は何を迷っていたんだ。
なぜ勃起浮遊し始めたのかは全くわからないが、少なくともこの大勃起を中心に浮いていることは確かなんだから、この大勃起を治めることができれば身体だって沈んでくるはずだ。
これだ。そう思って、俺は右手のスマホで例のイラストを見ながら、左手でベルトを外した。
ピコン
その時、スマホに通知が来た。
あの神絵師が、今度は『シギ』ちゃんのエロ漫画をアップしていた。
全12pにも及ぶその漫画はSNSで無料で読んでいいような代物ではなかった。
あ、これはダメだ、という感覚と共に、ギギギ…パチン!という何かの壊れる音がした。
音がした方に目をやると、そこには富士山があった。
ちょうどシーリングライトが富士山の山頂にあって、日の出みたいに見えた。
どうやら大勃起が富士山になったことで、その膨張に耐えられなかったズボンのチャックが弾け飛んだ音らしい。
ズボンから解放された富士山はどんどん隆起を続け、もはや勃起と呼んでいいかもわからないくらい大きくなった。
いや、もはやここまでくると小さく見えた。
遠近法の関係で近くのビルは大きく、遠くの山は小さく見えるから山ってそんなに大きくないじゃん、むしろ小さいじゃん、なんて子どもの頃に考えたことを思い出した。
俺の勃起はもはや小さかった。あえて小さいと表現した方が良いくらいには大きかった。あえてのミニだ。あえてのミニ大勃起だ。あえてのミニ大勃起浮遊だ。
そんな変な考えを大真面目にしていたから気が付かなかったが、天井がどんどん目の前に迫ってきていた。
そのことに気がついた時には、もう自分の顔面が天井に付いていた。
『やばいやばい!知らない間にまた浮かび上がってる!!』
俺のミニ大勃起の浮き上がらんとする勢いは止まることを知らず、もはや天井を突き破ろうとしていた。
『ちょっと待て!ちょっと待て!この上の階にはあいつが!』
俺の上の階には同僚の繭子が住んでいた。
繭子は社内でも堅物として有名で、誰に対しても敬語で話すし、相手が誰であってもミスは指摘するしで、他の社員からは近づき難い人物と認識されてるような奴だ。本人も会社の人間と仲良くするつもりはないらしいのだが、なぜだか俺に対してだけはよくしゃべりかけてくる。
そうこうしている内に、ミニ大勃起が天井にめりこみ始めた。この社員寮は天井も壁も薄い。このまま勃起浮遊が続けば、俺のミニ大勃起は天井を貫いて、繭子の部屋の床に筍みたいに生えてきてしまう!
繭子の部屋に俺のスーパー筍が突然現れたら…そして、その筍が俺のものだとわかれば…
きっと俺はセクハラで訴えられるし、刑務所では『同僚社員の部屋に自分のイチモツを突っ込んで筍を生えさせた男』として他の囚人や刑務官にいじめられるんだ…。
そ、それだけは絶対にまずい!!
俺は精一杯の力をこめて、天井を腕で押して筍浮遊に対抗した。
しかし、状況はよくなるどころか、逆に悪化した。
『…ん…あぁ…ぁるみさん…はぁ…』
バキバキ…バキ…
『ん…?何の…音…?』
繭子の部屋の床にヒビが入る。
『…へ?』
バキバキバキッという音と共に、まず俺の両腕が繭子の部屋の床から生えてきた。
『ぎゃあああああああああ!!!』
繭子の叫び声が社員寮中に響き渡る。
次に、腕が床を貫いた勢いで俺の顔面が繭子の目の前にこんにちはした。
『え!?!え!?!えぇぇぇぇ!!』
繭子と目が合うと、最後に筍が生えてきた。
『ぎゃあああああああ!』
『慌てるな!これはただの筍だ!!』
ドンドンドンドン!!
『蔵本さん!何かあったの!?すごく大きな音がしたけど大丈夫!??』
繭子の隣の部屋の社員がドアを叩く音がする。
『蔵本さん!どうしたの??大丈夫??』
腰が抜けた繭子はガクガクしながら何か答えようとする。
『繭子!頼む!なんとか誤魔化してくれ!一生のお願いだ!頼む!この通り!!なんでもするから!これは事故なんだ!後でちゃんと説明させてくれ!!頼む!繭子!この通り!!』
俺はまだ浮遊しようとする身体をなんとか抑えながら、繭子に嘆願した。こんなこと言っても無駄だろうが、こうでもしなきゃ俺は本当に刑務所行きだ。今なら繭子だけしかこのことを知らないし、繭子ならこの勃起浮遊のことをちゃんと伝えれば理解してくれるかもしれない。他の社員が知ることだけは絶対に避けなければ。
『あ…あ…、し…島村さん、』
繭子がドアの向こうの社員に返事をする。
『す、すみません、え、ええっと…へ、部屋にゴキブリが出たので、慌てて叫んでしまいました。すみません、何にもありません』
『そうだったのね。突然叫び声が聞こえちゃったから何かあったのかと思った。大丈夫?1人で処理できそう?』
『だ、大丈夫です。すみません、ありがとうございます』
なぜか繭子は俺のことを誤魔化してくれた。
『た、助かった…』
『な、な、なんなんですか、この状況!!い、意味不明です!ちゃんと説明してください!!』
どこから説明するべきかと思いながら、俺は繭子の部屋を見渡した。
繭子の部屋は繭子の普段のイメージ通り、お堅い地味な女性の部屋という感じで、色気がないというか、印象がないというか、雑誌とかに載ってるモデルルームみたいな部屋だった。
『何、人の部屋、じろじろ見てんですか?こっちは、急に晴巳さんが私の部屋の床から飛び出してきて、ものすごく困惑してるんですけど!??…ってああ!』
何かに気がついたかのように繭子は着ている部屋着を整えた。胸元が乱れているように見えたが、繭子が隠したのでよく見えなかった。
繭子は女性がよく部屋着で着ているようなモコモコのパジャマに下は短パンを履いていた。いつも社内では髪を後ろで小さく縛っているが今は解いていて、いつもの黒縁メガネも家用であろう赤縁のメガネになっている。
お互い名前で呼び合ってるのは、別に付き合っているからとかではない。
繭子がたびたび話しかけてくるようになってから数年が経ったある日、繭子が友好の印といって、2人きりの時は私のことを繭子と呼んでいいと言い始めたからだ。それから『だから私も2人きりのときはあなたのことを晴巳さんって呼びますね』とも。
意外と馴れ馴れしい奴なんだなとは思ったが、大学ではみんな下の名前で呼び合っていたし、そういう流れの延長かと思って承諾した。
『繭子、よく聞け…』
『勃起浮遊のせいなんだ。俺は勃起浮遊してしまったんだ!』
『…』
さっきまであんなに騒がしかった室内が静まり返っていた。
『やっぱり島村さん呼んできますね』
『ちょっと待て!繭子!わかったから!もっとちゃんと説明するから!』
そこから丹念に、そして丁寧に、これまで俺が体験した現象について繭子に説明した。
さすがに、あまりに突飛すぎて理解されないかと思ったが、意外にも繭子はあっさり信じてくれた。俺が感謝の意を述べると、繭子は「晴巳さんがそんな出鱈目な嘘つけるはずないですし…」と言っていた。
『とにかく、晴巳さんは…その…えと…、…っき浮遊のせいで晴巳さんの部屋の天井を突き破って私の部屋までこうして突き出てしまったわけですね…』
『あぁ、そうなんだ…繭子がわかってくれて本当に助かったよ…実は、今もまだ身体が浮こうとしていて…結構、ギリギリなんだ』
『あ、あのう、私はどうすればいいんです?』
勃起浮遊を治めるには、とにかくマスタベーションして勃起を治めることが最優先だ。
だが、いくら理解があるとはいえ、それを繭子に頼むほど俺も無神経なわけじゃない。
とにかく、今は自分の部屋に戻ることを優先するべきだ。その後で、空いた穴から繭子にロープかなにかを投げてもらい、それで身体とベッドを縛りつければこれ以上身体が浮くこともないだろう。あとは、繭子にバレないようにマスターベーションをするだけだ。
『ありがとう繭子、とりあえず、俺の身体を俺の部屋に向かって思い切り押してくれないか?』
『わ、わかりました…。じゃあ、どこか持ちやすい部分を探しますね…ええっと…』
『あ、この棒みたいなものが持ちやすそうですね』
そういうと繭子は俺の筍を両手で掴んだ。
『…その、言いにくいんだが、繭子』
『…何ですか?』
『その…それ…俺の筍だ』
『たけのこ?どういうことです?たけのこって?』
『いや、だからさ、ほら…ええっと、言い換えるなら、俺の富士山だ』
『いや、だからわかんないですって。とにかく晴巳さんを押せ出せばいいんですよね?それじゃあ、押しますよ』
そういうと繭子は俺のミニ富士山を強く握った。
『ぅうう!繭子!それ、今お前が握ってるやつ!俺の勃起そのものなんだ!』
『…は?』
俺の言ってることが理解できなくて一瞬固まった繭子。
『えぇぇぇ!わ、わ、私、晴巳さんのぼっ……を触ったちゃった…ってこと…?』
『で、でもでも、男性のあれってこんなに大きいはずが…』
『だからさっき言った通りだだろ!とんでもないぐらい大きくなっててもはや小さくみえるくらい大きくなってるんだって!』
と叫んだ途端、力が入ってしまったのか、ついに床を突き破って、俺の身体が繭子の部屋に完全に入ってしまった。
『え!え!えぇぇぇぇ!!』
繭子が口に手を当てながら、天井にぶつかる俺を見上げる。
多分繭子には、俺の身体が「上」という漢字みたいに見えたことだろう。
『…』
繭子はついにことの重大さを理解したのか、顔を赤らめながら絶句していた。
俺のミニ筍はもはやミサイルばりに膨張していて、今や繭子の部屋の天井さえも貫こうとしている。
繭子の住んでいるこの部屋は社員寮の最上階だから、ここを突き破ればあとはもう青天井だ。
色々な意味でもう終わったか…そう思った。
『繭子…本当にすまん…床とか俺が全部弁償するし、もしあれだったら全然、訴えてもらっても…』
そう言いかけた時、俺と繭子の目があった。
いや、別にそれ自体は全然おかしいことではない。繭子は俺を見ているし、俺も謝りたくて首だけ繭子の方を向こうとしたから。
おかしいのはそこではない。
おかしいのは、繭子の顔が俺と同じ高さにあるということだ。
繭子の身長的に、仮に繭子がベットの上に立ったとしても天井まで浮いている俺の顔の高さまでは全然届かない。
『う…うう…どうしよう…晴巳さん…』
気づけば繭子が泣いている
『う…うう…私も勃起浮遊しちゃいました…』
繭子が胸を中心にして浮き上がって、俺と同じように天井に到達していた。
『え?』
繭子が勃起浮遊していることに気がついた瞬間、天井からメキメキと何かがひしゃげる音がした。
『え?』
大きな音を立てて天井にヒビが入ったかと思うと、俺の勃起浮遊と繭子の勃起浮遊が天井をそのまま大きく裂いて貫いていった。
『え?』
勃起浮遊の2人はそのまま夜空に射出された
その時、俺は頭に思い浮かんだことをパッと口に出していた。
『逆シータじゃん』
まだ泣いている繭子が俺の肩を思い切り叩いた。
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俺と繭子が夜空に勃起浮遊してから5分くらいが経った。俺たちは社員寮の屋上から大体10mくらいのところで浮いていて、上昇自体はすでに止まっていた。
『きゃあああ!怖い!怖いです!晴巳さん!助けて!助けてぇぇぇぇ!』
『落ちつけ繭子!ジタバタしてると揺れて余計に怖くなるだろ!落ち着け、ほら、まずはゆっくり深呼吸しろ!それから慣れるまで目つぶっとけ!』
泣き止んだと思ったら、今度はこの高さに怖がり始めた繭子をなんとかなだめがら、これから俺たちはどうするべきか悩んだ。
一応、俺たちが住む社員寮は、会社の裏にある丘の上に立っていてここよりも高い建物はない。だから、勃起浮遊している俺たちを誰かに目撃されるという心配はなさそうだ。
逆に言えば、俺たちのことを見つけて助けてくれるやつもいないということだ。しかも、さっきまで手に持ってたスマホは、繭子の部屋の床を貫いた衝撃で手を離してしまった。
つまり、俺たちは自分たちの力だけでこの状況を何とかしなくてはいけない。
『私たち、このまま誰にも見つけられないまま浮き続けるんでしょうか…』
『…その可能性もあるだろうけど、まぁこのままずっと勃起浮遊し続けてる訳でもないだろうし、最悪、朝になったら俺たちが出社しないことに気がついた誰かが探してくれるだろ』
とにかく、繭子を不安がらせないようにしないと…
あれ?
そういえば…
『繭子、なんでお前まで勃起浮遊してるんだ?』
『は、はぁ!??い、今そんなこと聞かなくてもいいですよね!』
『いや、だってよ、さっきのタイミングでお前が興奮するようなことはなんて、特に何もなかっただろ?』
『ぅうう…、晴巳さんって、本当にそういうところデリカシーないですよね!、晴巳さんは何とも思ってないかもしれないですけど、私だって一応女の子なんですよ!』
『いや、誰もお前のことを男だと思ったことはねえよ!俺はただ、お前があの時、何を見て勃起したの…グホッ!』
繭子から鋭いチョップが飛んできた。
『こ、この変態!、どうして私が晴巳さんにそんなこと教えなきゃいけないんですか!!』
『と、とにかくそんなことは今どうでもいいんです!』
『今考えないといけないのは、どうやって地上に戻るか、です!』
期せずしていつもの繭子に戻ったのは助かったが、ここからどうしたものか…。
地上に戻るための案はあるにはある。
さっき言ったようにマスターベーションして、勃起さえ治めればこの浮遊は無くなるはずだ。
しかし、この解決策には問題点が2つある。
一つ目は、隣に繭子がいること。
そもそもマスターベーションってのは人に隠れてするものだ。友人だろうが恋人だろうが親だろうが、絶対に人には見られたくない。
俺のマスターベーションが繭子に見られるのは百歩譲ってまだいい、繭子にとってはショッキングだと思うが。それよりも繭子にとってショッキングなのは、繭子のマスターベーションを俺に見られることだろう。
とはいっても、この問題はいわばプライドの問題だ。
マスターベーションを同僚に見られることよりも、勃起浮遊をなんとかする方が優先度は高いはず。背に腹は変えられない。
しかし、二つ目の問題はそんな生ぬるい問題じゃなくて、命に関わるものだ。
それは、このまま勃起浮遊が止まると俺たちは10m下にある社員寮の屋上に急速に落下していくということだ。大怪我で済めばいいが、打ちどころが悪ければ命を落としてしまうだろう…
このことを繭子に相談すれば何かいい案が浮かぶかもしれないが、変に死を意識させて怖がらせたくはない。
はぁ、どうしたものか…
思い詰めて、ふと俺の大勃起ミサイルに目をやった。
夜空に雄大に聳え立つ一本の柱は、かつて天界に近づきすぎて神の怒りに触れ、無惨にも壊されてしまったというバベルの塔を思い出させる。
そもそも、どういう原理で俺たちは浮いてるんだよ…
このバベルの塔が浮遊の原因なんだろうというのはわかるが、勃起の力で身体が浮くというのは冷静になって見ればおかしな話だ。
ん…?待てよ…
よくよく考えてみれば、俺が浮き始めたのは、俺のイチモツが勃起して大きくなった時だった。
しかし、逆に考えれば、膨張が止まっている間、俺の身体はこれ以上浮き上がることはなかった。一番初めに勃起浮遊したときは俺のベッドから1mくらいのところで止まっていたし、今だって、屋上から10mの高さまで浮き上がって、止まった。
これはつまり、俺の勃起浮遊力と地球の重力が完全に釣り合ってるからってことだよな?
だとするなら、これは可能性の話だが、勃起浮遊状態を脱した片方が、勃起浮遊状態のもう片方に掴まれば、勃起浮遊力との釣り合いが取れなくなって、地上にゆっくり降りられるんじゃないか?
これはある種の賭けだが、やってみる価値はあるかもしれない。しかもこれならマスターベーションするのは俺だけで済む。
『繭子、ちょっといい案が浮かんだんだが…』
そう話しかけながら繭子の方を見ると、さっきジタバタしたせいか、繭子のパジャマの胸元がはだけて肌着が見えていた。
『本当ですか!?いい案、というのは!?』
繭子がこちらに振り返ったため、胸元が余計に見えてしまった。
お世辞にも大きいとは言えない繭子の胸が、肌着の上からもわかるくらいにピンと張っている。そして、その先端には、エアーズロックかと思しき大勃起があった。日本の名所で例えるなら、雲海を貫く竹田城跡のような壮大さもあった。
これが繭子の勃起浮遊の中心なのだろうが、俺が度肝を抜かれたのはそこではない。
『繭子…お、お前…まさか…』
『ん?どうしたんですか晴巳さん?』
あれは?
エアーズロックにかかるあの輪っかはなんだ?
まるで竹田城跡に満月がかかったようなそんな輪っかが、繭子の大勃起の先端にあった。
『繭子、お前…もしかして…そんなところに…』
『ピアス…してるのか…?』
『な!、い、いい案があるとか言っておきながら、私の乳ピを見てたんですか!!こんな非常事態に!!?いくら晴巳さんといえど、これは立派なセクハラですよ!セクハラ!!』
『それのこと”乳ピ”って略すのか!?!』
繭子に思い切り殴られて、またコマみたいに回転してしまった。
繭子みたいな堅物で真面目を自で行くような奴が…
色気なんて微塵も出さないようにしているあの繭子が…
乳ピ…?
『もう…最悪…』
『晴巳さんとはゆっくり進展させていきたかったのに…』
『こんなハプニングみたいな感じで、お互いの恥ずかしいところ見せちゃって…』
『ううぅ、しかも…晴巳さんに乳ピまで見られて…最初に見せる時は外して行くはずだったのに…』
繭子が小さく何かを呟きながら、静かに泣いている。
『お、おい、繭子、俺がまた何かやらかしたんだな?悪い、本当に悪かった!ごめん!』
繭子は泣き腫らして赤面した顔でこちらに振り返った。潤んだ瞳で胸を手で隠しながら俺のことをじっと見つめている。
『わ、私にだって、晴巳さんに言えないような秘密の一つや二つくらい…あるんですからね…』
その瞬間、俺の身体がまた浮き上がった。
『ああぁ!晴巳さん!』
俺と繭子はとっさにお互いの手首を掴んだことで、ギリギリ浮き止まっていた。
股間を見るとそこには大砲があった。俺は大砲になっていた。
『繭子、よく聞け!俺がさっき言ってたいい案ってのは嘘じゃない!いいか!』
今の勃起浮遊でどこまで浮き上がってしまうのかはわからないが、このまま浮か上がって繭子との距離が離れてしまうと、勃起浮遊を止めて繭子の身体に掴まる時の衝撃が大きくなってしまう。
やるならまだ繭子との距離が近い今しかない。
『よく聞け!俺は今からこの手を離して、あることをしてすぐに勃起浮遊を止める。そうして勃起浮遊が止まったら俺は落ちて来るからそうしたらお前に飛びつく!お前はそのままじっと浮きながら、俺を受け止めてくれ!』
『え、えぇぇぇ!??手を離すだなんてそんな…!というか、その後、何するって言いました!?』
『とにかく俺に任せろ!お前はとにかく、手を離して、俺を受け止める準備だけしておいてくれ!』
繭子は手を離さまいとぎゅっと俺の手を掴んでいるが、俺が無理やり手を剥がした。繭子は悲しそうに俺の名前を叫んでいる。がんばれもう少しの辛抱だ
やるしかない。幸い浮き上がるスピードはまだゆっくりだ。勃起浮遊を止めるタイミングは早ければ早いほどいい。できるだけ繭子に近い距離で止めなければ!
俺はすぐさま大砲を取り出すと、改めてその大きさに驚きながらもそいつを擦り始めた。もはや片手で持つことのできないほど大きなそれは両手にも溢れるほどだった。
早く、早く…
繭子の泣く声が真下で聞こえる。
50cm、75cm、1m…
繭子との距離がどんどん開いてくる。
早く!早く!
1m30cm、1m80cm、2m…
う、うううぅ!
2m60cm、3m30cm…
う、うううう!!!!
シギちゃぁぁぁぁん!!!!
大砲から発射された白い弾丸はとんでもないスピードで社員寮の裏手にある林の木に命中した。2、3本は貫通したような音がした。
一瞬の快感のあとで、さっきまでの浮遊感が消えて、身体が真っ逆さまに落ちている感覚がやってきた。
『うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!』
繭子との距離は3mくらいだったのだが、想像以上に落下のスピードが速く、繭子の腰のあたりを掴む予定だったのが、そもそも繭子を掴めるかさえわからなかった。
『繭子ぉぉぉぉぉ!!』
『ぎゃぁぁぁぁあ!晴巳さぁぁぁぁぁん!』
バシィッ!
何とか繭子のどこかを掴むことに成功した!
『ひ!ひぃやぁぁ!』
繭子の悲鳴が聞こえた気がしたが、そんなことに構ってられないことが起きた。
『落ちてる!落ちてる!俺らすごいスピードで落ちてる!!想像と違うんだけどぉぉ!!!!』
先ほど俺が考えていた案によれば、繭子に捕まった後、繭子の勃起浮遊力と重力がいい塩梅になって、たんぽぽの綿毛みたいにゆっくり降りられる、という打算だったのだが、俺たちは真下に一直線に落下していった。
『は、晴巳さん!!どこ掴んでるんですかぁ!!』
『わかんねぇよ!!あれした後の男はもう何にも考えられねぇんだ!』
何か柔らかいものを掴んで繭子にぶら下がってる気がしたが、もはやそんなことを考えている余地はなかった。
『やばい!このままじゃ地面にぶつがるぞ!』
『あぁ…晴巳さん…そんな手を動かしたら…ぁあ…』
繭子が何か言ってる気がしたが、落下する俺たちが風を切る音で何も聞こえなかった。
『だめだ!ぶ、ぶつかる!!!』
『ぁあ…ダメ…』
『ィクッ…』
地面にぶつかる寸前のところで、一瞬、かなり強い力で俺たちの身体が突き上げられた。そのおかげで落下の勢いが殺されて、ゆっくりと着地できた。なんの力だったのかわけがわからなかったが、なんとか無事に降りられたのだ。
『繭子!大丈夫か!』
繭子は俺の上でぐったりとしていた。時折、ピクピクと震えるからかなり心配だったが、「だ、大丈夫です」と呟いたのを聞いて心底安心した。
俺たちは何とか生存した。
気がつけば繭子の勃起浮遊もなくなっていた。
落下の衝撃のせいだろうか、原因はわからないが、とにかく2人とも助かって良かった。
『は、晴巳さん…』
『繭子!俺たちは生きてるぞ!ははは!助かったんだ俺たち!お前がいてくれたおかげだ!』
『晴巳さん、お話があります』
俺と向き合った繭子が疲れと恥ずかしさと怒りが入り混じったような顔をしていた。
『う、うん?どうした?』
『晴巳さん、私の乳ピを見た挙句、私の恥ずかしいところを全部見ましたよね…?』
『い、いや、あれは事故みたいなもので…』
『それに加えて、最後には…私のことを…その…』
『…ん?』
『わ、私、ずっと心に決めてたんです。結婚するなら初めての人だって。』
『は、はぁ…』
『こんなことがあったんですから、晴巳さん、』
『私の人生の責任取ってください!!!』
『…お、おう。わかった。』
人生の責任を取るってのがよくわからなかったが、とにかく繭子にこんな迷惑をかけたのは紛れもない事実なのだから、その責任はきっちり取るつもりだ。
『うわあぁぁぁぁん…』
安心したのか俺に抱きついて泣き始めた繭子を俺はそっと抱きしめた。
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それから少しして、ようやく落ち着いた俺たちが社員寮に戻ってみると、それはもう大事になっていた。そりゃ、俺の部屋の天井には穴が空いていて、繭子の部屋は床と天井に大きな穴が空いてるんだ、大事になって当然だ。
俺たちは今回のことを理解してもらるようになるべく丁寧に説明したのだが、この現象を体験したことのない奴が到底理解できるような出来事ではなく、俺たちは社員寮を追い出され、会社もクビになった。
それに空いた穴の修繕費として、決して安くない代金を払わなくてはいけなくなった。
行く当ても働き口もないしもう実家に帰ろうかなと呟くと、繭子は「同棲しませんか?」と提案してきた。その後、慌ててルームシェアと言い直していたような気がしたが、なんにせよ俺にとってはありがたい提案だった。
社員寮の修繕費は馬鹿にならないものだったし、家賃や生活費が折半できるのはありがたいし、なにより俺は繭子の人生の責任とやらを取らなければならない。
俺が二つ返事でその提案を受け入れると、笑顔になった繭子はなぜか俺の手を握ってきた。
そうして、社員寮の借金を2人して何とか返済し切ったタイミングで俺たちは結婚した。
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書斎の掃除をしている最中に懐かしいアルバムを見つけた。ちょうど、私と繭子がルームシェアをし始めた頃の写真が出てきたので、当時のことを思い返していた。
結局、勃起浮遊とは何だったのだろうか。
あの後、勃起浮遊やそれに近しい現象を体験した人はいないかと思ってネットで検索したのだが、一件もそれらしいものはヒットしなかった。
それにあれ以来、私も繭子も勃起浮遊したことは一度もない。
もっというと、あれ以来、私は勃起するのが怖くなっていた。また勃起浮遊してしまったら…などと考えると、迂闊にそういうものも見れなくなった。あのアカウントもすぐにログアウトして、それからはもう一回もログインしていない。
ただ、私が当時、勃起浮遊する原因となったイラストを描いた神絵師の、全年齢向けイラストを時々、街中で見かけることはあった。当時、数百人のフォロワーしかいなかったあの神絵師が今や、ここまで成長したのか、と感慨深いものがあった。
私ももう48だ。
私と繭子の間には、7歳の頃に養子に迎えた息子がおり、その子ももう高校三年生になる。
今思えば、当時は仕事から帰ってきたら、エロイラストを鑑賞して、時にマスタベーションをして、寝て、起きたら仕事に行って…という日々の繰り返しで、これといって夢も目標もなかった。
しかし、勃起浮遊したあの日から色んな変化があった。色々と苦労はあったが、繭子と一緒になったり、息子がうちに来てくれたり、毎日が楽しかった。
勃起浮遊というのは良くも悪くも私の人生の機転になった。
今の私の目標は息子一人前に育てることだ。
息子や繭子のことを考えると、自然と力が湧いてくる。
そんなことを考えながらアルバムをしまって、書斎の掃除を再開しようとした時だった。
『お、お父さぁぁん!助けて!!』
息子の部屋から助けを呼ぶ声が聞こえてきた!
私は書斎を飛び出すと、息子の部屋に駆け込んだ。
『どうした!!操!!何があった!!』
扉を開けて見えてきた息子の姿に私は絶句した。
『どうしよう!お父さん!!急に身体が浮き始めたんだ!』
息子の身体が床から1mほどのところで浮かんでいた。
そうあってくれるなと願ったが、その期待を裏切るように息子の股間は勃起していた。懐かしい大勃起だった。
『お父さん、どうしよう!どうしよう!これ、なんで浮いてるの!?お父さん!、助けて!!』
私の頭は色んなことを考えて混乱していたし、パンク寸前だったが、急に頭の中に降って湧いてきた言葉があった。
私は躊躇なくその言葉を叫んでいた。
『勃起浮遊だあああああ!!!』