自分が嫌いなのは、自分を知らないから
今より若いときの私は、とにかく私が嫌いだった。
「嫌悪」という言葉がぴったりくるくらい、見た目も考え方も行動の結果も失敗も何につけても生理的に無理だった。
「ほんとうはこうありたいのに、どうしたらいいのかわからない」といった具合に、ロールモデルはあるけど頭や体がそこを目指した考え方や行動を知らないから、うまく自己実現することができなかった。
例えるなら、高橋愛ちゃんみたいにおしゃれな人になりたくて目指しているのに、なぜか自分には合わないオーバーサイズやぴちぴちすぎる洋服をわざわざ選んで着ては「似合ってないよ〜、こんな格好ダサいし恥ずかしいよ」と自信をなくすようなことを繰り返していた。
どうして服選び=行動が下手だったのか。それは自分自身の【サイズ】を知らないからだった。
自分のことを知らないから、自分が心地いいと感じるものや、自分に足りないものがわからない。だからそれにフィットするものが選べなかったのだ。ぎゅうぎゅうの服に無理矢理袖を通そうとしたり、長すぎるズボンの裾を引きずって歩いたりして、そんな自分に嫌気がさしていただけで、心地よく似合う服を身につければ自分を好きになることはできる。
自分を知らなければ、自分を変えることもできない。イオンモールの中で目的地に辿り着くためには、まず大きな案内図の中で現在地を確認するのと一緒で、自分の欠損はどこにあるかとか、自分の何をどう変えたいのかとか、まずは自分の【現在地】を知ることが大事だ。
私は声がコンプレックスだった。
幼少期からずっと、兄から「声が気持ち悪い」と言われ続けて、私はそれを鵜呑みにしていた。
きっと誰が聞いても、クラスメイトも先生も初めて会う人もみんな私の声は気持ち悪いと思うんだろうと思い込んでいた。また気持ち悪いと言われることを恐れて、すごく小さな声で抑揚なく喋るようになった。自分でその喋り方を選択している割には、自分の声を好きになることは全くなかった。
一体何が気持ち悪いのか、どういう喋り方をすれば相手に心地よいと感じてもらえるのか、自分の声を研究してみることにした。これが自分の【サイズ】、【現在地】を知るということになる。
するとわかったことが2つあった。
一つ目は、誰からの評価を受け取るかを見極めるべきということ。「お前はMサイズだ」とか言われても実際にはSサイズなんだとしたら、その声は受け取らなくていい。兄からの「気持ち悪い声」という評価は受け取らなくてもいいものだった。他人からも声については言及されることが多いけど、よくよく考えれば兄以外で「気持ち悪い」と言ってくる人はいなかった。むしろプラスの感想が多く、「落ち着く」とか「声優になれるよ」とか言われることが多かった。
とある実験で「シロクマのことを考えないでください」と言われた被験者が一番シロクマのことを覚えていたように、気にするがあまり兄の言葉を何度もリフレインさせて刷り込ませていたのは誰でもない自分だった。実際に自分の声を録音して聞いてみると、最初こそ身震いしたけど、慣れてくれば気持ち悪いと言われるほどの声ではないなと思えた。
二つ目は、改善とフィードバックを重ねれば自分を理想に近づけられるということ。
何度も喋りを録音して、何度も聞き返して、もうちょっと低く声を出してみようとか、もう少し口を大きく開けて速く喋ってみようとか、その度に気づいたことをやってみては聞き返してを繰り返した。前よりはどもったり詰まったりしなくなったし、聞きやすいくらいのスピードにアップしたし、声を上げて笑えるようになったし、何より自分の声が好きになれた。新卒の頃は先輩上司から「聞こえない」「お腹から声を出して」と言われていたけど、今は「よく通って聞きやすい声だね」と言われる。
遥か遠くの目的地まで辿り着けたと思う。「よくここまで来たね」ってもう見えなくなってしまったかつての【現在地】を振り返りながら、私は私を好きになることができた。
自分が嫌いな人は、自分という人間のサイズと現在地を知ろう。サイズというのは大きい小さいとかではなく、胸囲や胴囲などを組み合わせたシェイプ、シルエットの方がイメージに近い。そして自分サイズにフィットして心地が良いもの、つまり環境や価値観、立ち振る舞い方を選ぶ。自分が一番素敵に見える行動をとる。そうするといつの間にか目的地、理想にたどり着いている。
自分の行動で理想に近づいていくプロセスを味わうことは、自分を肯定するのに十分な要素になりうる。筋トレをすることは自己肯定感を上げることにつながるらしいけど、これは目に見えて体型が変わり理想に近づいていることが視覚でわかるかららしい。
「いつか自分を好きになりたい」では好きになれない。能動的に「自分を好きになる行動をとる」ことが、自分という人間に対しての作法だと思う。
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