「趣味:落ち込むこと」だった
「趣味:落ち込むこと」だった
私は「落ち込むこと」が趣味であるかのように、いつもそっちへ走っていた。
すぐに落ち込んで、坂を転がるように奈落の底までとことん落ち込む。今思えば、それが一旦気持ちをリセットする役割も果たしていたのかもしれない。落ちるところまで落ちればあとは上がるしかないから。
でも、落ち込んで泣いて、それが解決に繋がったことがあるだろうか?
「落ち込む」ことを数えきれないくらい繰り返して何年も続けて、そのうち自分に嫌気が差してきた。
もしかして落ち込んでる自分に酔っている?
落ち込んで苦しんで、そこに気持ちをもっていってるのは誰でもない自分だった。無意識に奈落の底へのレールを敷いている。むしろそうしないといけないんだと思っていた。すごくすごく自分を責めて転落させないと、罰を受けないと許されないんだって。今思えば一種の儀式だったのかもしれない。
「もっと腹から声を出しなさい」
「もっと積極的になりなさい」
これは10代から20代前半にかけて学校でも職場でも幾度となく言われ続けた言葉だけど、私には「腹から声を出せない」「積極的になれない」理由というかバックグラウンドを持っていて、
「気持ち悪い声」
「お前は黙っとけ」
と刷り込みのようにいつも家族から言われていた言葉がフラッシュバックしては、
「こんな言葉をかけられ続けたからだ」
「だから私は社会でうまくいかないんだ」
と落ち込んで家族を憎んだ。
落ち込んで憎んで終わり、そのことを繰り返した。
その他にも、人に言われた言葉を敏感に感じ取っては勝手に落ち込むことが多かった。
ゲームでいうと同じステージで同じ敵にやられて、また同じ戦法で挑んでやられて、いつまでもステージアップできない状態。
「落ち込む」選択肢ばかりを選んでいるなんて、人生のRPG下手すぎやしないか。物語が進まないのも当然。ハッピーエンドルートじゃないなら、別の選択肢を選ぶ必要がある。
私は自分に聞いてみた。
「本気で自分を幸せにする努力、してる?」
…してない。そう気づいてからは落ち込むのをやめた。
私はコンプレックスを克服して社会生活でちゃんと人と関われるように、手始めに人間観察を始めた。
元気で社交的で、仕事もできる職場のAさんを観察して気づいたことは、「物事の捉え方が違う」ということ。同じ事柄に直面して私が大袈裟に傷ついて捉えたことも、一方のAさんはノーダメージ。私だったら「やっぱ私はダメだ…」と思うことも、Aさんはそこまで捉えない。
自分の考え方が極端だと気づいた。間違いを指摘されたら人格を否定されたと思うし、少し失敗したら私はやっぱりダメだと思う。傷つかないように自分発信で何かをすることもなく他力本願で、人から声をかけてもらうのを待ち、責任を負わないように「あの人がこう言ってて…」と人の発言を引用し、声が小さいから少し聞き返されただけで「間違ったこと言ったかな」と狼狽える。
聞き取ってほしい。こう捉えてほしい。こう言ってほしい。同情して慰めてほしい。そんな人任せで受身な自分に気づいて嫌悪した。これも家族のせいかというと、悲しきかな、そうではない。
長い間家族から言われてきた言葉が元凶だったとしても、今更どうしようもない過去を呪い続ける以外に、自分にはできることがある。
捉え方を改めて、自分で人生を選ぶ。
幸福になる努力を自分でする!
私が攻略すべきダンジョンはだいぶ初歩的で、人よりいっぱいある自覚があった。だから人と比べるのもやめた。同じエリアで出会ったキャラも、一緒に進んでるように見えて実は私が見たこともないようなエリアをすでに攻略しているかもしれないし、私がまだ持っていないアイテムを揃えていてそもそもステータスが違うかもしれない。そんな土俵の違う他人と自分を比べるのはやめた。
昨日より今日、先週より今週、先月より今月、去年より今年、できたことを紙に書き出した。過去の自分と比べるとちょっと嬉しくなる。だって絶対何か一つ成長しているから。
「もう家族のせいにしない。今私がしている行動は全て家族じゃなくて自分の選択、自分の責任」
「何か指摘されても、人格を否定されたと捉えない」
「1日1回、職場の人に話しかけて談笑する」
「私の言うことは間違っているという思い込みから、ボロが出る前に急いで会話を終了させるということに注力してきたけど、それは相手を傷つけ不安にさせる可能性がある。一往復でもいいから会話のラリーを増やす」
「かしこまりすぎないで、雑談感覚で仕事の相談ができるようになる」
初歩的だけどそうやって一つひとつダンジョンをクリアして今ここにいる。
「落ち込む」選択肢を選ばないようにしたら、RPGはサクサク進んだ。
今まで「落ち込む」ことだけをこねくり回していたんだ。
ステージ1を永遠と繰り返すことを趣味のようにしていたんだ。
気持ちが落ちることはあっても、もう落ちることだけに時間を使わない。
「ニーバーの祈り」を知っているだろうか。
明日雨が降ることを変えようと思うのは愚かだって、誰にでもわかる。なすすべもなく落ち込んだりしないで、雨天決行にするか、雨天中止にするか、代替案を用意するか、みんな自分で選択して行動するだろう。目の前の出来事もそうだ。どうしようもないことを変えようとして落ち込んでいては何も進まない。
「趣味:落ち込むこと」をやめたら、私の人生は大きく進んだ。
今や人と普通に話せるようになって仕事も捗っているし、愛する人と出会って結婚もできた。
一番上の選択肢だけは、もう選ばない。
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