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開発過剰国

双極の薬をもらうため、3か月に1回、日本へ行く。宿から病院までの道を、ひとり歩く。

完成された国だな

と、思う。
普段いわゆる、開発途上国にいるせいだろう。

ここにいれば、小麦粉やチーズを買うのに、わざわざ隣の州までバスで出かける必要はない。
キッチンに置いたホットケーキが、ちょっと目を離した隙に家の壁の亀裂から入り込んだアリさんご一行の餌食になることもない。

もちろん日本だって、日々感じる小さな欠落を挙げればキリがない。
私自身、住んでいた頃はこまごました不満でいっぱいだった。ちょっとしたストレスと、ささやかな楽しみと、そういったものものをミルフィーユみたいに渾然と味わいながら暮らしていた。

先進

日本とカンボジアにいる期間が逆転するようになって、自分の心が、日本という「場所」であまり動かなくなっていることを、もう、認めざるを得ないなと思っている。
(愛国心とか、そういうのに絡む日本という『国』はまた別だ。心情に変化があったのは確かだが、今回書きたい心の話とはまた異なるように思う。)

この場所には何でもある。生活のために必要なもの、生活を向上させるために必要なもの、ひととおりはたぶん出つくして、今は…定着したひと言を使うなら「さらなる付加価値の創造」段階か。
終わりのないフェーズだ。常に常に、さらにさらに次が求められる。先進国って、先に進"みつづけなければならない"国なのか。

それでも新しいコンセプトを生み出せる人や、それを実現できる技術をもった人が、この国のプロダクトに、システムに、絶え間なく洗練を加えている。
私(たち)一般人の生活は、提案されたパーツを時に気軽に、時に真剣に、組み合わせていけば一応形になる。

それで、私(とか)は、落ち込んだときなんかにこう思うんだ。

自分がいなくても、この街は明日もいつもどおりなんだろうな。

舗装の行き届いた広い歩道、直角に建つビルの間を、街のいちピースとして歩きながら。

よい一日を、お過ごしください(*^▽^*)