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詩からみるMyGO!!!!!の物語~中編~


1.はじめに

本感想文は、前稿「詩からみるMyGO!!!!!!の物語~前編~」の続きになりますので、もしまだ読まれていない方がいればそちらを読んでから本文を読んでいただけると幸いです。(It's MyGO!!!!!に関する放送情報などもそちらに載せています&本文は前編を読んでいることを前提にしています)
この中編では、#8~#11におけるMyGO!!!!!の楽曲と物語のかかわりと感じたことを書いていこうと思います。

2.テーマ

前編にも記載をしていますが、本文のテーマに関して改めて。本文は「MyGO!!!!!の楽曲からストーリーを深読みしてみる」というテーマで書いています。妄想・こじつけ多めなのも前編同様です。
取り扱う楽曲に関しては前編2-2項にて一覧にしてあるので、そちらを参照していただければと思います。

3.#8~(そよ)

まずは#8以降のそよについてです。#7のラストで他4名の勝手についに堪忍袋の緒が切れたそよですが、それ以降は笑顔の仮面を剥がし、素顔(本性?)を見せることが多くなりました。そんな彼女を象徴する曲ですが、私は悩んだ末に『影色舞シルエットダンス』が彼女を象徴しているのではないかと感じました(いちばんは本人の歌ってみたである『キリトリセン』ですが)。

影色舞にそよの心情を重ねると、1番ではCRYCHICに執着している彼女を歌っているのではないかと思います。

己さえ 誤魔化せない チープな理論武装

とめどない思考回路を 誰か ねえ止めて

影色舞では、冒頭から「あと一匙の憂鬱で 壊れそうなんて」と歌われています。そよは物語冒頭からCRYCHICの解散という特大の憂鬱を抱えていたキャラクターです。そして、8話で祥子の言葉を受け、燈たちの前で被っていた仮面が、心が壊れてしまったような描写がされています。
なので、この冒頭の一節から「影色舞はそよを表した歌である」というように考えています。

彼女はキャラクター紹介の時点から「考え事をする際は指をいじる癖がある」と、特徴になるほど「考え事をする場面が多い」とされていた人物でした。それは彼女の素顔を知った後に仮面の下から覗く本音からも伺えます。
特に考えを巡らせていたのは、「CRYCHICを復活させるため、どうすれば愛音・楽奈を最大限利用しつつ、最終的には切り捨てられるか」という点ではないかと思います。

彼女がこの思考回路を止められるとき、それは(#7前後の時点では)、CRYCHICが復活しない限りは訪れないのではないのでしょうか。
また、彼女は本性を現してからも何かと他人の世話を焼くような発言が多いことに変わりがないことに気付く方もいるかと思います(言い方に棘はありますが)。これは、彼女の本質は仮面を被っていてもいなくても変わらず、どれだけ拗ねた態度をとっても、それは自身すら誤魔化せていなかったと言ってもよいのではないでしょうか。

音の中に溶けていく 僕のリアリティ
感傷も 焦燥も ちりぬる模様

MyGO!!!!! 『影色舞』

2番の冒頭では、彼女の中にあった芯⋯⋯CRYCHICの解散に痛めていた心も、復活のために焦っていた気持ちも、何もかもが散り散りになってしまった様子が伺えます。そんな彼女は、燈に、楽奈に、立希に、そして愛音に強引に舞台へと引き上げられます。

呼吸音と重なってく リズムの波に
任せて揺れていたい それだけでいいよ
飛び込んだならそこはもう 無重力 浮遊してダンス

MyGO!!!!! 『影色舞』

そうして飛び込んだ舞台の上で、プライドも間違いも気に留めず奏でた音は、ボロボロだった彼女の心に響き、きっとこの瞬間だけでも「全部リセットで 空っぽに」なれたのではないでしょうか。

また、影色舞のMVでは2番のサビ入りにそよのカットが使われています。

『影色舞』MVより


『影色舞』MVより

これがストーリー案があったうえで作られたものかも、MVを作る際に二面性があるというそよの設定があったのかも定かではありません。ですが、普段通りの(普段よりもアンニュイな?)表情の彼女が、グリッチのような演出を通してモノクロになるのは、笑顔の裏にニヒリストな一面を持った彼女らしいと感じます。

4.#8~(楽奈)

ここからは要 楽奈についてです。#8以前では主に立希の頭を悩ませる野良猫兼名言製造ガールとして活躍していた彼女ですが、物語が終盤に近付くにつれ、彼女の内心やルーツも明らかになっていきます。
そんな彼女を象徴する曲が、前編でも少しだけ触れた『無路矢のろし』であるのは間違いないでしょう。

この曲は燈と楽奈のデュエットで進行していく曲ですが、今回は楽奈についてみていくという事で、楽奈パートの歌詞に注目していきます。

いつかすべてが ああ
消えてく 何もかも
なら今日も フラつく足で

MyGO!!!!! 『無路矢』

11話にて、彼女の抱える傷が明らかになります。それは、ライブハウス「SPACE」の閉店。オーナーである都築詩船の孫である彼女にとっては、物心つく前からある、いつまでも変わらないと思っていた居場所だったのだと思います。
「生まれた地球(ほし)にいるはずなのに」という気持ちは燈、楽奈の二人ともが抱えていたものですが、燈のそれが「人間になりたい」という思いから来たものだとすれば、楽奈のそれは居場所を追われてしまった、まさに街をさまよう野良猫のような心情から来たものなのではないでしょうか。

楽奈は11話にて「一生あると思ってた。なくなったけど。でも、『居場所って、また誰かが作るんだ』って」と発言しています。この言葉は、誰かから聞いたような言い方をしています。おそらく、彼女の祖母であり、SPACEのオーナーであった都築詩船が彼女に伝えた言葉なのではないでしょうか。
バンドがバラバラになってしまい、かつて音と声で交わし合っていた信号ことばも届かなくなり、彼女はまた居場所を追われたと思っていたかもしれません。

果てのない空虚へと 応答もないままに
投げ続けた声
それが嚆矢になっていたそれが交信になっていた

MyGO!!!!! 『無路矢』

しかし、10話にて楽奈は、再び燈が投げた信号ことばを受け取ります。誰が応答するでもない、意味があるかもわからない信号。それに彼女は気付き、そして気付くことができるのは自分だけだと理解したのではないかと思います。今度は居場所を失わないように、今度は自分が居場所を作れるように⋯⋯と。
居場所を守るために、楽奈は立希を舞台に引き上げ、愛音を待ち、そよにベースを、音を与えました。今度は居場所を守ることができた彼女は、ライブ後、満足げな顔で守った居場所を見つめていました。

生まれた地球ほしに いるはずなのに
本当は僕だけが それでもいいから
僕と遊んで そのおと

MyGO!!!!! 『無路矢』

『無路矢』の最後にて、楽奈は「僕と遊んで」と歌っています。私自身に知識があるわけではないので間違った認識かもしれませんが、日々を生きるのが精一杯な野良猫に「遊ぶ」という言葉は似つかわしくないのではと思いました。すなわち、この詩が示すのは、フラつく足でさまよっていた彼女が、音で、声で遊べる居場所をようやく見つけた、という事実なのではないでしょうか。

5.詩超絆

10話にて、燈が一人で舞台に立ち投げ続けた「うたをうたううた」が、楽奈たち4人の手によって「キズナ」になり生まれた曲です。

うたう 手と手をつなぐうた
解きたくないんだ ずっと一緒にいよう
うたう 僕らになれるうた うたう
ここではじめよう もう一度

MyGO!!!!!『詩超絆』

「うたをうたううた」は、燈が「まだ諦めていない」と他の四人に伝える狼煙であり、「迷子のバンド」の嚆矢となった詩です。そんな「信号」であった詩は、楽奈や立希との交信を通して、愛音とそよに届き、詩を超えて音楽キズナになりました。

『詩超絆』は「詩」である部分と「歌」である部分に分かれているように私は感じます。
「詩」である部分では、居場所を壊してしまった、手を放してしまったことへの後悔や、言葉をうまく伝えられず傷つけてしまったことへの懺悔を主に詩っていると感じます。
そして、「歌」である部分では、五人でずっと、一生一緒にいたい、「僕」から「僕ら」になりたいという決意を感じます。
これまで、燈は「一生」という言葉を「傷つくのが怖いから」という理由で使っていました。けれど、「詩」が「歌」になり、「音楽キズナ」になることを知ってその意味は変わったと思います。私は、「一緒にいれば傷つくことも怖くないから」という理由になったのではないかと思っています。

6.まだ続くの⋯⋯?

ということで中編は終わりますが、本来は今回で(オリジナル曲に関しては)終わらせるつもりでした。ですが、あまりにも遅筆で最終回までに#12で披露された『迷星叫』『迷路日々』まで辿り着けなさそうなので、#12,13でまとめようと思った次第です。
というか本当にこのペースで締め切りまでに書きたいこと全部かける気がしてませんが、やれるだけやろうと思っています。
というわけで、次回以降もよければ読んでいただけると嬉しいです!

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