本当のやさしさと、心の引き出し
8年前の話をFacebookに(自動投稿で)紹介された。
8年前に小さな娘たちが話してくれたことが、今日の自分がまさに必要としていたことばかりではないか。あまりのタイミングに、ビックリ!
これはカミサマからの贈りものか、はたまた、天使だった小さなあの子たちからのサプライズなのか。
心の大事な引き出しにしまっておくために、noteに貼っておく。
(以下、2015年11月21日の日記)
最近、信頼する友達からもらった一言を、グルグルと考えている。それを、昨日のお風呂の時間、桃と杏に相談してみた。
いい会話ができたので、忘れたくなくて書き出した。子どもたちの心は、とてもとても、豊かでした。という話。
愛「ねえ、ママ、桃と杏に相談があるんだ」
(そうだん、という響きに、二人とも真剣な顔。じっと目を見て、言葉を待ってくれている。ふだんの不真面目な感じと大違い)
愛「みんな、心には嬉しい気持ち、楽しい気持ち、悲しい気持ち、怒ってる気持ちがあるでしょう?」
桃、杏「うん」
愛「ママはさ、嬉しいことや楽しいことはなんでも、みんなに伝えたいな、みんなと共有したいなと思うんだ。だからいつも思わずたくさんしゃべっちゃう。けど、さみしい気持ちや怒ってる気持ちは、あんまり出さないの。桃と杏にも、片付けなさい、とか、優しくないのはだめ、とか叱るときはあるけど、ママがどうしようもなく怒って怒鳴ったりするのとかは、見たことがないでしょ。パパとママがケンカしてるのも、見たことないでしょ」
桃、杏「うん」
愛「ママはね、今までそれは、いいことだと思ってたの。悲しい気持ちや怒ってる気持ちを人にぶつけずに、自分で引き受けて穏やかに消化する。それは、いいところなんだと思ってた。だけどね、この前、お友達に “愛ちゃんの心のふたをあけて” って言われたの。
ママだって、べつに、心の中にさみしい気持ち、悲しい気持ち、怒ってる気持ちがないわけじゃない。だから、それを隠さないで見せてほしいって。隠してると周りは淋しいよって、そう言われたの。
ママ、ぜんぜん隠してるつもりじゃないんだけどね。ただ、悲しい気持ちや怒ってる気持ちを外に出すことを、これまでずっと、あんまりしたことがなかったんだよ。そういえば、たぶん、ママの家族はみんなそう。良子ちゃん(母)も、のんちゃん(妹)も、そうなんだよね。だから自然だったんだけど...
桃と杏はどう思う?悲しい気持ちや怒ってる気持ちって、出したほうがいいんだと思う?」
杏「うちは出していいと思うー。やさしい言いかただったらね」
愛「やさしい言いかただったら、か。そうだよね」(いきなり核心を突かれてビックリ)
桃「うん、ほんとは、言ったほうがやさしい」
愛「言ったほうが、やさしい。なるほど」(同じく、ビックリ)
桃「うん。2組ではね、すんごい嫌な感じでちょっかい出されたり、隣でめっちゃうるさい大きな声でしゃべられたりしても、まずは怒らないで、ふつうの言いかたで3回言うのね、そいで3回いっても聞かなかったら、先生に言うってことになってる」
愛「○○くんとかのこと?」
桃「そう」
愛「2組ではそういうルールをみんなで決めたんだね。そうだね、大人に言う前に、まずは本人に伝えてあげるのがいいもんね。○○くん、幸せだね」
(桃、うなずく)
愛「それでさ、桃と杏は、さみしい気持ちとか、悲しい気持ちとか、心から出してる?」
桃「出してる!あ、でも、ぜんぶじゃないな・・・ ちょっとだけ悲しいくらいだったらね、心に引き出しがあるから、だから、そこにしまう」
愛「心の引き出し。またいいこと言うね。ちょっとだけなら、桃もしまっとくんだ。・・・しまっておいても、苦しくならない?」
桃「ならない!ちょっとなら」
愛「うん、ママもそうなんだよなー。悲しさは、少しなら、引き出しにしまっておけば、時間が治してくれるもんね」
桃「うん、3日たてば忘れるし。でもね、桃の心が傷つくことを言われたら、そのときは絶対に絶対に、言う。桃うっせーとか、消えろとか、そういう、心が傷つくこと言ってきたら」
愛「そうだね。心が傷つくようなことを言われたら、引き出しにしまわないで、それは嫌だったよって伝えるほうがいいね」
杏「えー、うちはね、うちはね、心が傷つくことも、ぜんぶ引き出しにしまってるー」
愛「本当? 杏は、けっこう出してるかと思った」
杏「だってね、だってね、うちがそれ言ったらけんかになるもん。しまってるほうが、ましー」
愛「でも杏、けんかはしてもいいんだよ。(※杏さん、本当は毎日のように親友の唯ちゃんとけんかしてます)
悲しいことをずっと心の引き出しにしまってたら、心が重ーくなってきちゃうんじゃない?苦しくて、重くて、泣きたくなっちゃうんじゃない?」
杏「なるよ。だからね、そういうとき泣くの」
愛「そっか。できればさ、泣く前に話すといいよ。心が傷つくくらいに悲しいことがあったら、 “それは嫌だったよ” って言えたらいいよ。本当の友達ならね。やさしい言いかたでね。だってお友達のほうも、杏ちゃんに言われて初めて、あ、そうか、そういうこと言われるの嫌だったんだ、って思うことあるかもしれない」
杏「そうかな・・・」
愛「ママはそうじゃないかと思うな。でも、言いたくてもどうしても言えないときってあるでしょ。すっごく悲しいことがあったけど、お友達には言えないとき。そういうときはいつでもママに言ってね。ママは、桃と杏の心の引き出しが重くて苦しかったら、いつでも助けたいと思うから。どんな話でも聞きたいと思うから」
(桃、杏、真剣な顔。ちゃんと聞いてくれている感じ)
桃「悲しいときって、友達がクラスでいじめられてたりとか?」
愛「そう」
桃「ま、2組では、イジメとかないけどね。あったらみんなで “こらー” って言うしね」
愛「そうなんだね。桃たちのクラスは本当に、先生たちもビックリするくらいにいい仲間たちだもんね。いじめることがかっこわるいっていう空気を、ちゃんとみんなで作れてるんだよ。ママはそれは、本当に素敵なことだと思う。でも、もしね、悲しいことがあるけどお友達には言えないようなことがこれから先でもあったら、いつでもママには話してね」
杏「うち、あるよ。◯◯先生のチームはね、いっつもね、□□がいじめられるの。□□がジャンケンで負けたら "□□だからまけたんだ” とか “まじ、ふざけんな” とか "ブツブツきもちわりー” とか言われてんの。うち、それが悲しいとおもう」
愛「そっか。□□ちゃん、かわいそうだね。杏、それは、言ってる子に "そんなこと言ったら、□□が悲しいよ” って教えてあげたり、□□ちゃんに ”□□、大丈夫だよ” って声をかけたりできるといいね」
杏「うち、言ってるよ!いっつも言うよ!そんなこと言ったらだめだよって言ってるよ」
愛「そう言ったんだ。それはすごい勇気だったね。□□ちゃんもきっと、心強かったんじゃないかな。最初にそう言えるのはすごい勇気。杏は、強くて優しいね」
杏「だけどみんな、やめないときあるよ」
愛「何度でも伝えてあげるのがいいと思うよ。でも、あんまり言うと、杏まで "うるせー!” って言われるときがあるかもしれない。そんなときとか、いじめられてる子を守りたいのに守れないと思って心がずーんと重くなるようなときがあったら、ママにお話してね。
ママはいつでも聞くから。桃と杏の心の引き出しが重くて苦しくなるのを見たら、ママが悲しいから。そんなときがあったら、ママに話してくれたら、どうしたらいいか一緒に考えたいって思うよ」
(二人とも納得した表情)
母から子どもたちに伝えようと思って話しだしたことだったら、こんなに真剣には答えてくれなかったはず。ママからの「相談」だったから、真剣に考えて、あふれるように言葉を返してくれたのでしょう。
優しい・・・。
子どもと心からの対話をするには「大人から子どもへ」のお説教ではなく、「人から人へ」の対等な関係がいちばんだなと、改めて気づきも得た。
話はそれて「ママの相談」はどこかに消えたけど、期せずして、子どもたちの感性と正義感、芯が強い優しさが浮き彫りになった。なんだかすっかり感動してしまい、もとの、私の小さな悩みなんてどうでも良くなりました。笑
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その後、お風呂上がりにアイスを食べながら、杏が膝に乗ってきて唐突にくれた一言も、大事にとっておく。
「うち、本当にママみたいになれるかな・・・
おとなになったら、ママみたいになれるのかな。本当に」
私はもちろん「ママはね、杏は、ママよりも、もっともっと、ずーっと、素敵な人になると思うよ!」と答えた。
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子どもって、本当にすごい。
豊かな心が奥深すぎて、底が見えない。
いま、うちでは掃除しても掃除しても一向に家が片付かないし、仕事も中途半端だし、忘れ物だらけ、猛烈にドタバタだけど、間違いなく宝物の月日を過ごしているなと実感しました。
見守っていてくれる家族と友達、それにカミサマに、感謝!
(以上、2015年11月21日の日記より)