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「嫌知らず」は悪い顔
Twitter(X)のオススメ欄を見ていると、毎日毎日誰かと誰かが争っていて、心がげんなりしてくる。
しかし、身に覚えのあるトピックも多く、つい無視出来ずに読んでしまうのだ。
最近話題になっているのは「嫌知らず」。
「嫌だ」と言っているのにやめてくれない。退職や離婚など事が大きくなってから「そんなに嫌なら言ってくれればよかったのに」と言うーー。
ああ、とてもわかる。
こういう人、いっぱいいる!
「嫌だ」という言葉が言っても言ってもスルーされる理由のひとつとして、「だって、俺は/私は嫌じゃないから」というものが挙げられている。恐ろしい認知の歪み。これがエスカレートしてセクハラや痴漢に発展するのではなかろうか?
私の周りにいる(いた)「嫌知らず」を分析してみると、「俺は嫌じゃないからお前も嫌じゃないはずだ」というタイプと、「嫌がってるのが面白い(可愛い)から嫌がらせたい」というタイプの2種類いるような気がする。後者は「キャー!いや!」という反応が楽しそうに見える、はしゃいで見えると言ったほうが正確な気もするが、どちらにしても「嫌だからやめて!」という本気の思いは伝わっていないことになる。
私には苦手なものが色々ある。
虫、夜の海、血や怪我、上から目線でバカにされること、等。
これらを「わざと」してきたり、見るように促したりする人ってとても多かったなあと思う。
「ほら、ゴ〇〇リおるで」
「ほら、黒い海やで、見てみ」
「その人怪我して骨まで見えててさあ〜」
(これらの話題が苦手な方、すみません)
とか。
すっごいニヤニヤしながら言ってたけど、どういう気持ちだったんだろう。虫とか、足元にいて「よけて!」の意味で教えてくれるのは全然かまわないというかむしろ有り難さしかないが、気づかなければ気づかないままでいられる距離(屋外)のものをわざわざ見せるのってなんなんだろう。私だったら絶対その人の目に入らないように必死でこっちに注意を向けるのに。
私は、自分の中に大きな怒りがあるほうだと思うけど、それを外に出すことがほとんどなくて、ちょっとした嫌なことすら「やめて」とはなかなか言えない。
そんな私に、「なんでそのくらいの事が言えないの?言えない方がおかしいんだよ」と責めてきた人もいた。
言えない相手は、友達だったり恋人だったり上司だったりで、言えない理由は雰囲気が悪くなるから、相手が気の毒だから、嫌われたくないから、評価にひびくからなどその時によって様々だけど、共通して言えるのは「言っても無駄だから」なのかもしれない。
こんな私でも昔はもっと自分の意見を言っていたと思う。意に沿わないことには反論もしていた。でも何も変わらなかった。
「こんなことくらいで怒るほうがおかしい」
「こんなことで傷つくなんてめんどくさい」
何度そんなふうに言われてきただろう。
理路整然と反論しても、「ヒステリー」で片付けられる。というか、「嫌なことをしないで」と言っているだけなのに、それをヒステリーととらえるのって一体何なんだろう。その人にとって、女の反論は全てヒステリーということか。足を踏まれて痛いからどけてと言っているのに、「私は痛くないから」と言ってもっと強く踏むのと同じようなことだと思う。そう言ったところで多分通じないのだろう。
最近にわかにトレンド入りした「嫌知らず」という言葉だが、ずっと踏み躙られてきた色んな人の「嫌だ」という思いがあったことを改めて知る。そして、歪んでいるのは誰かの「嫌」を無視してきた側であって、ずっと責められていた昔の自分はやっぱり悪くなかったんじゃないかな、嫌なことを嫌と言ったのは正しかったんじゃないかな、と思えた。
争いばかりのTwitterだけど、今まで見て見ぬふりされていたことに名前がついて明らかになって声をあげる人が増えて救われる人がいるのなら、そんなに悪いことばかりじゃないな、と思う。
(ちなみに私は普段水彩画を主とした創作界隈にいるので、そこでは争いとは無縁です!AI問題とかはあるけどね。)