働き続けないと病むタイプ
の人間です。
今日は会社を休んだ。思ったより締め切りが延びて、1日くらい休んでも良さそうだったから。
親が死ぬ夢を見た。夢では最近お母さんを避けてたことを悔やんでいた。起きた時バシャバシャに泣いていていた。お母さんに会いたいっていうのが本心なのかもなあ。でも実際会ったら苦手だなってなるのがわかっているからねえ。
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2人分の毛布を畳んで、寝床をきれいにして、居間やキッチンに出ているものを片付けたらお腹が空いてきたので鍋焼きうどんを作ることにした。
鍋焼きうどんのパッケージに沸騰後3分待つって書いてあって私に指示するなよみたいな謎の反骨精神が生まれて、時間を測らないでいてみた。休みの日だからこその社会性の欠如。うどんなんて、のびててもウマイしな。
とろろ昆布が大好きで、でもいつもうどんくらいにしか入れないから、ここぞとばかりに大量に入れた。最終的に汁が全部なくなった。接種塩分量に思いを馳せた。生活習慣病が怖い。
スマホいじりながら、体調も良いんだしこういう日にどこか行かないと損じゃない?と思った。温泉を調べた。行っても行かなくても良い。行かないかもしれない。
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Twitterの思想を発信したり対立の煽りをしているアカウントのフォローを外した。ちょっとアカデミック寄りな人たち(物理学者とか生物学者とかだったかな)の発言を追っていたら勉強になるかもって思ってフォローしたんだけど、頻繁に人を不快にさせたり焦らせたりするようなことを言っていてダメだこりゃとなった。本当に大学教授なのか???教授ってかなり忙しいと思うのですが。ウソか??? 思い切ってリムーブしたらスッキリした。
犬猫などの写真、素敵な絵、かわいいコレクション、前向きな言葉、お笑い、ホラーコンテンツだけのタイムラインになった。これで良い。たまに広告でギョッとするような画像がドーンと出てきて気が滅入るけども。
🐟🐟🐟
スーパーに行って、秋刀魚が安いとのことだったのでお魚売り場に見に行った。
良さそうな秋刀魚があり手に取った。そしたら全身ブランド服っぽい服で固めた老婦人に「それ私が買おうと思ったんだけど…」と声をかけられて、そうなんですねと答えて手にした秋刀魚を置き、違う秋刀魚にしようと選んでいたら、「あの…別に良いのよ」と言いながら私のカゴにさっきの秋刀魚を入れようとしてきた。
私はすでに違う秋刀魚を選んだところだったのでこっちを買いますと答えて立ち去ろうとしたら、「秋刀魚は口が黄色くて体に青い斑点があるのが新鮮」ということを教えてくれたのでお礼を言って立ち去ったら、以降も何か言っているようだった。
全く腹立ちはしなかったけど、注意からコミュニケーションに急カーブを切られても心を閉じた状態から始まっちゃってるから楽しくお話は無理だ。
スーパーから家まで歩きながら、老婦人のことを考えてしまった。どう接するのが正解だったのだろうかと。
例えば、「それ私の」と言われた時に、秋刀魚は老婦人の手元から離れていたので無視して会計に進んでも良かった。あるいは「離れた場所にあるから『私の』も何もないですよね」とキッと睨みつけて答える人もいるかもしれない。
「別に良いのよ」と言われた時に「はあ、別に良いんですね」と言って最初の秋刀魚をムンズと掴んでレジに向かっても良かったかもしれない。「別に良いならなんでわざわざ話しかけたんですか?」って嫌味な言い方をする人もいるだろう。
「新鮮な秋刀魚は〜」と言われた時に、無視して立ち去るという選択肢もある。「え? 何ですか急に。そんなの知ってますけど。何が言いたいんですか?」と答える人もいるかな。
私は「老婦人の話の腰を折らないが、深く関わるわけでもない」という対応をした。他人だしもう関わることのない人相手だったから。そんなに最初のサンマが欲しかったわけでもないし。
職場の人相手だったら「えー、〇〇さんのだったんですか? 本当ごめんなさい」と申し訳なさそうな顔で対応しただろうな。友人や家族相手だったら「じゃあ手元に持っておかなきゃじゃん」と笑顔でカゴに入れたかも。人間って無意識でこういう距離感の切り替えをやってんだな。
たまに他人相手でも職場の人相手くらいのテンションで対応してあげる人いるけどああいう人が社会性のある人なのだろうか。そうはなれないな。
今日のことで、自分はコミュニケーションを取ること自体や配慮のし合いに重きを置いている人たちと、なるべく関わりたくないのだと気づいた。接客業なんてやったらストレスがすごいだろうな。忙しくて主に法人とだけ関わる仕事が良い。
「老婦人のコミュニケーションの仕方が気に入らず、ああなりたくなく、絡まれたのが嫌だった。」というシンプルなことなのに色々考えてしまった。暇だとよくないこと考えちゃう。思考が思考を呼んで変に複雑に考えちゃう。働かないと病むタイプの人間だわ。
温泉に行ってこよう。
ちなみに老婦人は私が会計した後も魚コーナーで秋刀魚を見比べ続けていた。(1匹100円だしもう両方買ってかえりなョ。お金にも困ってなさそうだし)
♨️♨️♨️
車で40分の距離の温泉♨️♨️♨️人があまりおらず癒された。露天が薄暗くて怖かった。しかも黒湯だし、何かが中にいてもわからないなあというのも怖かった。東京の温泉は真っ黒なお湯の黒湯(すごく濃い醤油くらいの色)でしょっぱい。入ると肌がツルツルになるが、しっかり洗い流さないと体が藁みたいな臭いになる。
小2くらいの男の子がお母さんとおばあちゃんと来ていて、でかい声でチンチン!チンチン!と叫んでいた。お母さんって大変な役割だよ本当。
内湯と露天を楽しんで、お風呂上がりに黒酢ドリンクを飲みながら少年アヤさんの『わたくしがYES』を読んだ。自宅療養中のおじいちゃんと家族の関わりが丁寧に描写されていて、愛に溢れていて、読んでいる間ずっと目が潤みっぱなしだった。
少年アヤさんは人の人間らしいふるまいに対して愛がある。愚かだったり弱かったりするところも雑にまとめたり誤魔化したりせずにしっかり描く。
20代前半までは、自分の恥ずかしいところに蓋をして見ないようにしていたから、それらが自己嫌悪の材料となり、発酵して大変なことになりかけた。蓋していることにさえ気づいていなかった。気分の波に振り回されて、逃げたいとかしにたいとか思っていた。元気で前向きな日もあったのが悪質で、そのせいで問題の根本に向き合うのが遅くなった。向き合うことを始めなかったら、病むか死ぬかしていたかもしれない。
少年アヤさんの文章を読むと、不思議と自分のしょうもなさやプライドや顕示欲などを愛らしく思える。自分今ヤバい状態になってるな〜という時は少年アヤさんの作品を読み直している。自分への愛ある眼差しを取り戻すために必要不可欠なものだ。だから新刊が出たのがとても嬉しくて、ゆっくり大切に読んでいる。
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家帰って新米炊いて秋刀魚食べた。秋刀魚おいしすぎる。老婦人も食べただろうか。