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ペテン師だった学生時代

学生時代、教師の言うこと、ルールを厳格に守っていました

小学生の時は廊下、階段は走らない、ランドセルは大切に使う
中学生の時はスカートはひざ丈、髪は結ぶ、教科書は置いて帰らない

おかげで6年間背負っていたランドセルは気味が悪いくらい綺麗な状態で卒業して、廊下、階段を走る自分の足音は知らないまま
ひざ丈スカートで3年間を終えたため、裾を切ったり、折った跡は少しもなかった
6時間分の教科書とノートは重たいと思いながら鞄に詰めて登校、軽いペタンコな鞄で登校する同級生からは「なんで毎日そんなに鞄いっぱいなの?」これは何度も聞かれました

ルールや言うことを聞かないと自分で色々考えないといけない

たとえば廊下を走って教師に叱られたときなんと言い訳するか
スカート丈を短くするため裾を綺麗に切る方法と、それを後に教師に叱られたとき対抗する言葉

また不登校のきっかけとなった「授業妨害」
真面目な委員長タイプの優等生。この座をキープするには生活態度もそうですけど成績もそこそこ残しておかないといけません
授業を聞きノートを取って予習復習は必須…ではなかった。勉強は特別好きではない。不得意ではないのですが帰宅して机に教科書とノートを広げて復習なんてほぼしなかった。予習なんてもっとしなかった
もちろん「宿題」と名が付けばやりましたよ。宿題はやらないといけない、学生のルールですから

家で勉強がしたくない。でも成績は残さないといけない
さあ、どうする?
もうそれは授業にめちゃくちゃ集中してノートをとって理解を深めるしかない
家でしたくないのなら「勉強するルール」がある教室でやらないと

その教室を授業妨害で壊されたら勉強する場を失ったも同然
精神的に追い込まれしまったことの他に、優等生でいられなくなった。これらも不登校の理由だと思います

中2の3学期は優等生でいられなくなったことで保健室登校をしていました。保健室で勉強して、読書をして、時々学年の教師が来ると話し相手だと言っていたけど「そろそろ教室に戻らないか?」そんな気持ちが含まれていたのはバレバレでした
中には私に「集団生活にはガマンして気持ちを譲り合うことが必要なときだってあるぞ」そんなことを平気に言ってくる教師まで

ルールを厳格に守りに守ってきた。スカート丈も髪型も重たい教科書だって一度も置いて帰ったことはない。それを一度「保健室登校」という優等生としてのレールから外れてしまったら責められた

悔しくて教師が去ってからは泣いた

泣いたけれど私は本物の優等生ではなかった
先を読むことが出来て、こうしたら怒られるからこうしておこう
言うことを聞き、気が利く優等生でいたら教師からアレコレ言われない
勉強も好きではないけど優等生をキープするためやっていたにすぎない

まるでペテン師です
周りを欺き、生きやすく、生活しやすくしていた
精神的に追い込まれてからは苦しくて欺くことは考えられなかったけれど
いい子、優等生として生きてた時はペテン師
教師を欺くのは思ったほど難しくなかった
ルールをしっかり守り、頼まれる前に自ら引き受け、テストで点数をとり、クラスの問題を生徒の立場で解決すれば「頼れる優等生」の立場は手に入った

でももうペテン師にはなりたくない
欺いて生きやすさを手に入れたくないからだ
ちゃんと自己主張して、説明して、その上で納得してもらい
正々堂々と「私」を見てもらいたい
それにペテン師のピアサポーターなんて嫌です
嘘ついて心に寄り添うなんて堪えられない

ペテン師にはもうならない
正直に生きていこう
超、が付くくらいの真っ直ぐバカ正直

*愛音*

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愛音
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