父の命日
父の7回忌の法事があった。
①最後の法事
若い世代には、法事という習慣があること自体を知らない人すらいる時代なので、7回忌の次の法事は行わない。
父は母にとっては、いい夫ではなかった。従って、もう父のことを話題にすることは、あまりありそうもない。悪口くらいなら言うかもしれない。
父が働いていた職場の人も、父のことなど忘れているだろう。親類の人も7回忌後は、滅多に思い出すこともないかもしれない。
➁思い出の場所
父は怒ってばかりいたので、怒った顔ばかり浮かんでしまう。だが、前にもどこかで書いたから、読んだ人もいるかもしれないが、父の笑顔の思い出の場所がある。
それは、私が毎日、利用する最寄り駅付近の交差点だ。
父が帰宅の途中に、その交差点で出会った。父は普通の人よりかなり体力がある人間だったが、週末で疲労が溜まっていたらしく、その顔には疲れが見えていた。
だが、私に気づくと満面の笑顔となり、大きく手を振った。私も、大きく手を振った。私は愛されていると感じた。
➂後の祭り
私は父のために何もしなかったし、最期にも立ち会わなかった。亡くなった後、後悔することになったが、後の祭りである。
「人は死ぬと他者によってしか存在しない」
これはサルトルの言葉であるが、私の中には後味の悪さが残っていて、そのためか父のことが頻繁に思い出される。毎日、交差点を通る度に、あの時の光景が浮かんでしまう。私が父を忘れてしまうと、父はもはや誰の記憶にもない存在となり、消えることとなる。
私がもし、親孝行な子供だったら、父の生前に何かをしてあげて、私は満足し、7回忌も終われば父のことを忘れたかもしれない。
私は一生、父のことを引きずるような気がする。
お読みいただき、ありがとうございました。