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日々のちょっとした考え。誰かと共有したいからひとりごとにしないひとりごと
学会発表時などの海外滞在中の旅行記(ニューヨーク留学時のものも含め)
研究について。英語についてもっと楽しく、肩の力を抜いて考えることができるように。
東京にある大学の若手の研究者です。 世界で、様々な形に変化して話されている英語と社会について日々 考えています。 「ネイティブ」という一つの英語の形にこだわりすぎて、それにたどり着かないと、私たちは「英語が苦手、できない、恥ずかしい」と人と気持ちを通じ合わせるという大切なコミュニケーションの役割を忘れてしまいがちです。でも蓋を開けてみれば、英語を母語として話す人たちは、世界の英語話者でいうとほんの少しです。大半の人は、自分たちの言語と共に英語を話し、そこにはカラフルな言語の
「挫折とかしたことあるの?」 と、最近仕事に転機が訪れた私に友達が聞いた。 「いや、まぁ、人間だからね。」 と、その場では深く考えずに答えたけれど、後から振り返って多分私はあんまり挫折を挫折と思わない方なのかもしれないと思った。 私は、人には必ず「その人だけにできること」があると考える方で、あまり苦労をしなくても人よりほんの少しもともと出来てしまう、そんな秘めてる部分をみんなどこかに持ってると思っている。だから、まだペーペーの人生だけど、一応「私だからできることって何
人が過ごしている人生は、ひとりひとり全く違って、 その人生のひと時ひと時に当てはまる形容詞は、 他の誰からも測ることのできない、その人にしか測れないものなのだ。 「楽しい」「嬉しい」「きれいな」「愛おしい」経験も 「苦しい」「寂しい」「険しい」「悔しい」経験も その尺度はどうやったってその人にしか分からない。 どれくらい嬉しかったか、どれくらい苦しかったか、 それは、その本人しか分からない。 普遍的に測れるものさしなんてものは、無い。 それは、ありふれた考えに感じるけれど。
自身がニューヨークにいたときの日記を帰国してから初めて読んだ。書いていたのは覚えていたけれど、一度も読み返したことはなかった。 開いて読んでみて、びっくりした。 何がびっくりしたって、描写が細かすぎるのだ。こんなに細かく1日に起きたことを書いていたのかと驚いた。 細かく書いてあったというのは、確かに、それだけ書くほど1日に沢山のことをしていたのかもしれないが、それ以上に、自分にそれだけの洞察力があったということ。 レストランで食べたマリネの味が少ししょっぱくてレモン絞
一人で歩くことが好きになった。 いつからか、知っている街でも知らない街でも、一人で歩くことが好きだ。 好きといっても、一人で歩いていてぱぁっと心が開ける事はまず、ない。 いける、がんばろ!と根拠のない自信から前向きになるのはむしろ友達と居る時で、一人で歩いている時は大抵の場合あることないこと色々と考えて、不安になったり、苦しくなったり、虚しくなったりする。 半ば自分を苦しめているだけじゃないかと思う時もあるけど、それでも一人で歩くことが好きだ。 宙に浮いているように、
電話に出ると、 彼女の、鼻をすする音が聞こえた。 「大丈夫?」 ひくひくと嗚咽しながら彼女は答えた。 「今ね、彼氏とね、別れてきた、、、 ふられた。向こうから来たのにね、結局、 ふられた。勝手だよね。 本当に好きだったのにね。辛い。辛い。」 「うん。」 「ああしてればよかったかなとか、 こう言ってれば良かったかなとか考えるの。 私が重すぎたのかな?初めてのお泊まりの時に、、もっと私、彼の好きな女性だったら良かったかな?」 「、、、。」 私は、彼女にかける言葉を必
いつかの木曜日の夜。 なぜだか急にフレンチトーストが食べたくなった私は、 夜風の当たるソファに座って本を読む父に 「土曜にでも、おやつにフレンチトースト作ろっか。」 と何気なくつぶやいた。 「うん、いいね。」 と、低く小さく一言返事をすると、父はまた静かに本に目を向けた。 そんなことも頭の片隅においてしまった私は 土曜日にデートの予定を入れた。 午前中から出かけて、楽しい時間はすぐ過ぎて、 帰宅したのは夜遅くだった。 父はもうとっくに寝ていて、リビングだけに灯りがつい
英語を母語としないひとたちが、英語で書いたクリエティブな文章を、Website(プロフィールにURL)でシェアしています。正しく書くことよりも「伝える」ために思いを込めた楽しい表現の英語をぜひ楽しんでいただければと思います。(好きなことをなんでも、自由に書いてくださる方も募集しています) Websiteとinstagramです。楽しんで、読んでみてください。 Website: Kotoba gallery website Instagram: Kotoba galler
大学院のことだったり 言語のことだったり 少し固いお話が多かったから 肩の力を抜いたお話を。 この前のこと。 私はよくカフェで 課題をしたり論文を書いたりすることが多い。 少しの音も無い図書館の自習スペースより、 人のおしゃべりの声が聞こえたり パソコン作業する音が聞こえたりと 少しだけ雑音がある方が、 私はなんとなく心地よく、集中できるからだ。 その日も同じように、コーヒーショップで作業することにした。 私は勉強が捗りそうなスポットを探すまで、 こだわりがある人で
ことばは、強くてまっすぐ。 私は、ことばについて考えるのが好き。 なんでことばが好きかというと 思ってることを「伝える」「表現する」ためにたぶん1番近い手段で、 書くにしろ、話すにしろ、 その一言一言すべてに、伝え手がその言葉の後ろに持っている考えや、思いがのっていると思うから。 逆に言えば、 伝え手は、(特に消して書き直したりできる書き言葉なんかは)、 自分の言葉に、自分の考えや思いを意識的に組み込んであげることができて、 相手に「こう伝わって欲しい」という気
最近グーグルアシスタントがすごく進化したっていう記事(動画)を Facebookで見た。 グーグルアシスタントの紹介ビデオ グーグルアシスタントが 美容院とかレストランに直接電話をかけて 予約をしてくれるのだけど 全く機械が話してるように聞こえなくて 相手の対応に本当に自然に即座に返答ができる。 英語も単語単語で区切られているとかロボットっぽいこともなく 普通に人間と会話が出来てしまっている なんかもう もはや将来は人と人との会話がなくなっちゃいそうな気
これは就活を経験したひとは 誰もが思うことかもしれないけれど、 街を歩くたびにどこかのコーヒーのCMみたいに この世界は本当に誰かの仕事で出来てるんだって実感する。 朝通るマツモトキヨシには 開店前にレジ開けてる店員さんがいて 搬入する人がいて、 開けてるレジも 搬入してるダンボールも その中に入ってる商品も 商品のデザインも、、 ってキリがないけど全て 作ってる、造ってる、創ってる人がいると思うと、 なんだか、コンク
「2回留学?あじゃあもう英語はペラペラな感じですね?」 感謝しなければいけないことに 人生で2回も長期留学に行かせてもらっている私が よく遭遇する他人からの反応だ この反応を受けるたびに困ってしまう 私には英語がペラペラの定義が分からない どうなると人は「英語ペラペラ」の称号が 与えられるのか分からない 文法だったり構文だったりがしっかりしている事? でもこう耳にする時もある
この一年 自分の変化した事と 後悔していることを ちょっと考えていた 私はたぶん前よりも人が好きになった 心をオープンに人と関わって 相手と繋がろうという気持ちが強くなった 一人っ子だからなのか私は 自分の時間を持つのが得意で 一人で過ごしていても全く苦じゃない でもそれを言い訳に 良くないと分かっていながら 連絡が疎遠になっていたり 連絡が無愛想になっていたりした人が大勢いる 感謝の気持ち、嬉しさ、楽しさ、
Beauty 美 ってなに? やっぱり基準を教えて。 目が大きい方がいい。 鼻がすっきりしてる方がいい。 二重の方がいい。 唇がぷっくりしてる方がいい。 小顔の方がいい。 山ほど「方がいい」 聞くけど、 そして私もよく思うけど。 私たち日本人が 勝手に思ってるだけだと思ってた。 無いものねだり。
出会ってもうすぐ10年になる友達が居る 彼女は人生のほとんど ずっと演劇をしてきて 今でも演者だ 昔彼女が言ったことをふと思い出した 「舞台ってさ お客さんに払わせるのは チケット代だけじゃないんだよ 劇場に来るまでの交通費と そのあとにごはんでも食べよっかってなるかもしれない食費 帰り道寄り道でもしよっかってなるかもしれない費用 そういうものも全部 かかってるんだよね だから 劇場に足を運