未婚と結婚
イメージできることは現実化する。
別の言い方をすればイメージできないことは現実化しない。
”私はなぜ結婚してない?” という問いに浮かぶは「父」
自分の両親の結婚を見て幸せな人生と思ったことは微塵もない。両親の結婚は羽を切られた鳥のようだった。しかし実際は、あんなんでも仲良くしていた時期もあったようだと、写真の中の母が父の腿に手を乗せていることで伝わってくる。不思議だ。あんなに来る日も来る日も愚痴を言い続けていたのに…。
親の存在
未婚出産という道を選択した私。結婚に縁がなかったというより持たなかったのだと、今思い返してみるとわかる。出会いがあってもその先に結婚へと続く相手をことごとく選んでいないからだ。
私が結婚をしたとして、どう愛をはぐくんでいくのか。そしてどんな家庭にしたいのか。結婚してみたい気持ちもあったが、それはただの雰囲気なのか結婚という形だったのか。しかしその思いを上回る”墓場”意識。
私のように結婚の憧れがない人間もいれば、結婚がしたくてしたくて結婚相談所で必死で相手探しをした友達もいる。他には一生で3回4回結婚する人もいて面白い。いずれにせよ、親が子供に見せる家庭は当然のことながら幸せがいい。笑顔がいい。
思いやりを言動に出していれば、その場のエネルギーは落ち着き居心地の良い空間になるだろう。
願ったことは必ず叶う
20代ど真ん中。6歳年上の長く付き合った彼がいた。大好きだったし永遠に一緒に居たかった。しかし私の歪んだ思考が70%、30%が私のいらぬ我慢で結局別れることになった。
私の歪んだ色眼鏡が現実をすり替え、反すう、思考グルグルは決まって、"もし~ならば" や "~思っているかな"と、いつも相手を気にするばかりで自分の気持ちを気にしてあげていない。
家庭の事情で複雑な心を持って育った私は、私が何人も存在していた。鎧を何重にも着込んで、沢山の仮面で外側に傷つけられないように気を配っていた。非常に極端なネガティブとポジティブの思考を持ち合わせ、自分が一番自分のことを知らなかったのである。そんな中で、唯一心を許すことができたのがその長く彼なのだが、残念なことに自分に自信がなくいつも彼が去ってしまうことを考え怯えていた私。
願ったことは100%叶う。
知らぬ間に別れを思考し現実化した。ただそれだけなのである。
母が毎日言い続けた父を嫌う小言。全てを母に任せっきりで何もできない男は母の愚痴を膨らませた。
そして、それを聞き過ぎた娘たちはダメな父親=男として認識する。世の中の男性と比べてしまうのは申し訳ないが、男ってこのくらい頼もしいがいい。このくらい物知りがいい。このくらい経験豊富がいいと…。
ずっと好きでいる必要はない。嫌いになることだって良くある話。
母は昔から愚痴を言い続けているが故、どのレベルの嫌いかが私には見えなかった。
嫌いなのに同じ家で暮らし続け愚痴を言い続けたからだろう。母は食道癌から他に転移し凄まじい速さ死んでいった。
子供の頃の記憶
母の語る"父"を記憶している。
母が他界した後、父と同居することになり、母の愚痴は確かにそうだ!と理解したし、父のヤバさにくらくらしたものだった。
なんでも知ったかぶりをして事を大きく話し、一度やったことがあることをまるでプロ並み風に話を膨らませ承認を求める。面倒なことから真っ先に逃げる。
「オレは仕事をしてたんだ」
「オレは親を早く亡くし子供の育て方がわからないんだ」
「オレを面倒に巻き込むな」
私も正社員であるし、子育てと家事とをやっている。昔は残業で稼ぐわけだが、それがなんなんだ。仕事以外のことは全て母に押し付け食事の時だけひょっこり姿を現し野球中継を観ながら食事して終わればまた姿を消す。子供や家庭に感心のないそんか父。母は朝から晩までの作業も管理も全てこなすわけで、愚痴がでるのも理解できる。なんなら思い切って離婚してしまったほうがよっぽど幸せ度は上がっただろう。
完璧主義者の母はすべてを自分がやるべきと自分を緩ませることなく働いた人だ。だからストレスで子供に暴言暴力をやる。ただでさえ厳しいに加え男性のジャッジが激しく、これが私たち娘の脳内に染み込んたこと。
これが両親から学んだ結婚は地獄ということ。
相手を鎖でつなぎ抑圧するような人間関係が私の両親の結婚だったが、結婚だとか友人だとか仕事だとか、そんなことよりも「自由」でいたい。自分を解放し自由に泳ぎたい。
今となっては
両親のような結婚は絶対にしない。
そんな思いを持ったある日、老人ホーム入居者で家族が居ない高齢者の老人の日曜日を覗いた。他の利用者には娘・息子・孫などがニコニコ笑顔でやってきてお菓子を一緒にいただく。そんな微笑ましい様子の家族は私も羨ましい限りだが、まさにその時「結婚はしたくないけど、子供は欲しい」と、しっかりと自分の希望をオーダーした。(このころは宇宙の法則など知りもしなかったが)
虐待を体験すると決めてこの両親を選んだのは私。悔しいが全ては私の選択である。こうして未婚で出産しひとりで育てていて、途中厳しく叱って我慢をさせてしまったことなんて数えきれないほどある。だが子育てをしながら”息子の愛し方がわからない”状況に苦しくなったからこそ本当の自分を見つける旅、実際は要らないものを手放し続け本当の自分が見るける旅をスタートさせたのだから、こうなるように道はできていたのだなと。振り返るといろいろが繋がっていたのだった。
息子は片親にしてしまったが、正直片親でも大丈夫だと思っている。
両親が揃っていることが大事なのではなく、どれだけ愛情を向けて笑顔でいれるかなのだ。親はそこを良ーく良ーく考え自分をコントロールしていくのが大事なのだ。
私の体験したことがない”夫婦”
私が今世で結婚していないのは両親の影響と大失恋と、ひょっとしたら前世で結婚はさんざん体験し学びは完了していたのかもしれないし。
兎にも角にも、必要なことが起こる。
世界に目を向ければ未婚で出産は特別ではない。まだ日本が保守的なだけ。そんな中で結婚せずに出産する機会をいただけたけたこと、仕事や家や人との出会い。穏やかで優しい息子や癒すためにやってきた猫ちゃん。
私は恵まれた人間である。
まとめ
結婚したことがない私が言うのも何なんですが…
幸せな夫婦になりたければ、お互いがそうなるような思考や言動が必要だし、子供に両親の愚痴を言ってはいけない。
結婚して合わない相手だったと知れたら、我慢ではなく別の道を選択するほうが意識が拡がる。結婚と離婚で必要なお勉強という結婚だってある。
別の道を選択した先に本当の相手がいることだってある。
自分の心に正直が一番である。
読んでいただきありがとうございました。