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直感ってやつ。

私には直感がピン!とくることで、
飛び抜けてることがふたつある。

それは、「人」と「場所」。

例えば、
これまでに真面目に付き合った(真面目にってどないやねん)人は、
初めて会って、一言ふたこと話した次の瞬間には
「付き合ってください」という感じ。

一目惚れとはちょっと違って、
単純に「だってこの人だもん」という感じ。

そして、そういう場合は振られることはなくて、
長めのお付き合いになる。

他にも、友達で言えば、
会った瞬間に「この子、一生友達だ」と分かる人もいるし、

インターネット越しに、そういう人を見つけることもある。

昔、石垣島でレジャーの仕事をしてたとき。
その就職先に決めた理由は、
ホームページに映ってたスタッフの一人の女の子に
そういうのを感じたから。
「あ、私、この子と働くんだわ」って。


もうひとつの直感が働くものは「場所」。
好きな土地や空間というのは、一瞬で分かる。

輪廻転生を繰り返している(と思っている)中で、
心地よかったと感じていた気候や雰囲気なのだろうか、

飛行機で降り立ったひと呼吸目の空気で、
「あ、ここだ」って分かったり、

一歩どこかの空間に足を踏み入れたとたん、
「ここじゃない」と分かったりする。

もちろん、何も感じないこともいっぱいあるけど、
そういうのを感じるときは、人生において、
とても大切な選択のときだったと思う。

でも、20代になってからか、
だんだん直感が来なくなった時期があった。

それは、今思い返すと本当にわかりやすい理由で、
「感覚」を封印したからだった。

生きていく上で「感じること」が邪魔になったのだ。


私は専門学校を卒業した後に、オーストラリアに留学して、
帰国してからも定職にはつかず、行きたいところに行って、
住みたい場所に住んで、やりたい仕事をやって生きていた。

当時は実家の居心地が悪くて、気持ち的には家出するような気持ちで
「ここには二度と戻らない」と思っていた。

私は、母親との関係から目を背けてることを決めて、
この問題から逃げ切って人生を終えると決めていた。

んが。

そんなの無理なことだった。

物理的に離れたとしても、根本の問題が解決してない場合は、
何か行き詰まるたび問題を突き詰めると、
必ず母親との関係がそこにはあった。

いつも忘れたようで、
必ず母親の存在が頭上にはチラついていたし、
それも自分で分かっていた。

ただ無理にでも、気づいてないふりを続けていた。

そうこうするうちに、ある時、
あまりにも辛すぎて、
私の中の何かのスイッチをオフにした瞬間があった。

「感じなかったことにしよう」。

そのまま何かを感じ続けると、
一線を超えてしまうのを察知した私は、
感情というものにフタをすることを決めた。

そう決めたあとからは、信じられないくらい
生きるのが楽になった。

苦しいことが、目の前からなくなったのだから。

でも、
気づく人は気づくだろう。

感覚っていうのは、何か一つの種類だけフタできるものではなく、
「オン」か「オフ」かの二択だったということ。

「辛い」の感覚にフタをした私は、
「楽しい」とか「嬉しい」という感覚も、
気づかないうちにフタをしていたのだった。

ある日、
私は何をしても、
笑い転げることも、涙を流すこともなくなっているのに気づいた。

「感覚」。感じることにフタをしたのだから、
当然、直感なんて力は私から忘れ去られてしまったようだった。

それに輪をかけるように、私は公務員になった。

次回に、続く。(ちゃんと続くから。笑)


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