【グアテマラ滞在記】目標=強制力
今回の内容は、語学習得の技術面よりメンタル面にフォーカスした。
語学に限ったことではないとおもうが、どんなことでも習得するために大切なことは目標が立てることだと人は言う。
僕もそれには賛成だ。
でも、分かりきったことだが、全員が全員、目標を立てたからといってそれを習得できるわけではない。
目標というと、どうしても”こうなりたい”といった希望で、高い目標を掲げれば掲げるほど良いとされている気がするのだが、果たしてそれはなにを習得するための策として本当に効果的なのだろうか?
僕は、あることを習得(より短期間で)するためには、もっと効果的な動機付けがあるのではないかと仮定してみた。
そして、僕が考えた一つの答えは、これだ。
目標よりも強制力
要するに、「〇〇のようになりたい」より「ならなければ〇〇になってしまう」あるいは「これは避けなくては」という事態をつくる方が、習得の動機として強いのではないかという仮説。
この図を見てほしい。
従来の目標はおそらく図のような普通のピラミッド型になり、ピラミッドの上へ行けば行くほど目標とするレベルは上がっていく。
ただこれだと高い目標であればあるほど、達成は難しい。
なので、言語習得に関しては、逆三角形で強制力を効かせていってはどうか。
最下層は生死を左右するレベル。
そして、その前に言語を習得しないと現地で生活できないレベル。
その上が、海外旅行に行ったら困る。
一番浅い部分に仕事でその言語が使えないと昇進できない。
下層階へ行けば行くほど強制力は強くなり、その代わり習得の可能性とそのスピードが上がる。
目標というのは、実に難しいもので「目標を立てた」と言ったところで全く行動しなれば、習得の助けに全くならない。下手をすれば、習得の妨げにするらなり得る。
人間の脳の働きとして、物事を長期的に記憶するには自分にとって強い必要性があると脳が関知したとき記憶に定着するという。
ということは、極論だが脳みそに習得しないと”死ぬ”というリミットをかければ、脳は飛躍的に活性化して記憶することが可能ということだ。
もちろん、そんなこと現実世界では人質とかにならない限りは不可能な話だが、理論的にはそういうことになる。
なので、比較的現実的なレベルとして次の「現地で生活できないレベル」ということになる。
僕は実際、ニュージーランドでの英語習得はこのレベルの目標があったから成功したとも言えるだろう。
結論、一番楽して語学習得をする方法は、やはりその言語を喋らないといけない状況に身を置くことということなる。
最後に、ここで念を押しておきたいのが、
強制力を働かせて良いのは自分自身にだけであって、間違っても他人からの強制力と混同させてはいけない。
また、強制力を自分に課す前提として習得したいという強い意欲があることだ。そうでないと成り立たない。
例えば、よく勘違いしている状況として親から子への強制がそれだ。
英才教育だかなんだか知らないが、小さい頃から英語を学ばせては苦労せずに習得できるとおもって親が子供に留学をさせようとしたりすることがらしいが、個人的にはあまり良くないとおもう。
あくまでも、これは一仮説に過ぎない。
ただ、今スペイン語習得を試みていて、目標よりも強制力があった方が言語習得には効果的なのではというおもっただけである。
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