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「なんでもできる」錯覚に騙されない

保守的な考えかもしれないけれど、自分の可能性や選択肢をシビアに見定めることは、とても重要なことだと思う。

仕事を辞めてカナダに来た当初、目の前には色々な可能性があるように見えた。あれほど切望していた時間がたくさんある。仕事に追われなくても済む。やりたかったことがなんでも出来るような気がしたし、この環境で何もできなければ、それは自分の努力不足・怠慢のような気がしていた。実際に自分の興味関心をビジネスに広げた人、幼い子供がいても単身海外留学している人など、色々なことにチャレンジしている人が周りにはたくさんいて、大きな刺激を受けたものだ。

けれども渡航して1年ちょっと。残念ながら私は何も成し遂げられていない。英語は少し上達したかな?とはいえ、あんなに時間があったのに、自分はなんで怠けてしまったのだろう、と自らを責めることもある。

私自身が怠惰かつ時間を無駄にしがちなのは間違いがない。SNSとの付き合い方や、タスク管理、隙間時間の使い方など、生活習慣で改善の余地があることはたくさんあるし、一つ一つそれらを潰していこうとは思っている。

一方で「短い人生、なんでもできる!」「起こってもいないことを悩んでも仕方ない!」というメッセージは、思ってた以上に私の気持ちにネガティブに作用しているということを実感する。

「なんでもできる!可能性は無限にある」ということは、紛れもない真実だが、人はそれぞれ自分の手持ちのカードで戦うしかない。手持ちのカードには挑戦や行動をサポートしてくれるものもあれば、そうじゃないものもある。そして当然ながら、他人のカードの中身を見ることは出来ない。自分のカードと向き合って、戦い方を考えられるのは自分だけなのだ。

巷に溢れる鼓舞やメッセージからは意識して距離を置いたほうが良いと感じている今日この頃。自分のやるべきこと、やりたいことに関しては、とことん内省的にならなくては、と思う。


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あいの
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