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こういう時は何に頼ればいいのか26年生きたくらいではわからないのだ

わたし、物事を簡潔に伝えようと常々思ってはいますがいまだにうまくできません。感情の昂りが先行してツラツラ話すうち収拾がつかなくなるのです。

そんな自分にハッと気付く頃には手遅れで、何かしらの魔法によってその場から消えることができたならと逡巡します。

これからもわたしは、自らの言動をふと思い出すたびに「あぁ何故あんなことを口走ったのか、あの人の記憶から消したいなかったことにしたいマコトのようにタイムリープしたい…」などと後悔したり取り返しのつかない事実に絶望したり最終的に諦めたりしながら生きていくのだろうと思います。

復職して3ヶ月。昨夜も泣きました。

大の大人が明日の仕事のことを考えて過呼吸を起こし、布団にぶっ倒れ、ザバザバ涙を流す世界線は完全におかしいと思うのです。

「目を擦ったら腫れる」という危機感がわたしの荒れた指に清潔なハンカチ(干し上がりの洗濯物の山の一部となっていたもの)を掴ませ、目に押し当てさせました。

休職して得た心身の健康は何処へやら。

そんな時、これまでかけてもらった大切なことばや感情に寄り添ってくれる歌詞や文章の一節や都合よく信仰している神様やその時会いたい人の名前を唱えます。
 
愛おしい人の名前はことばというか音としても愛おしいので何度も呼びたくなりませんか。なりませんか?わたしはなります。
薄明るい部屋の隅で布団にくるまり、微睡む一時がわたしの幸福です。湿った花壇に横たわる団子虫のように背中を丸め、いまは会うことが叶わない人のうつくしい名前を呟く可哀想な自分にうっとりと絶望します。出来ることならこのまま柔らかな毛布にモソモソと身をうずめて一日を過ごしたい。そんな願望を今日も出勤が邪魔します。理不尽な怒りで気が狂いそうです。
 
こんなわたしは気持ち悪いでしょうか。

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