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日本一の大天狗の実態とは?異端の天皇だった後白河法皇

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後白河法皇という異端の天皇についてをまとめました。
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#後白河法皇

日本一の大天狗の実態とは?異端の天皇だった後白河法皇 その1

 鎌倉殿の13人が放映されてすでに三か月が経過している。  この時代のキーマンとされる後白…

日本一の大天狗の実態とは?異端の天皇だった後白河法皇 その2

 前回は後白河法皇が即位に至るまでの経緯と、最初の危機であった保元の乱についてまとめた。…

日本一の大天狗の実態とは?異端の天皇だった後白河法皇 その3

 前回は平治の乱についてまとめたが、平治の乱の原因とはなんだのか?  最大の原因を探って…

日本一の大天狗の実態とは?異端の天皇だった後白河法皇 その4

 二条天皇は若くして崩御した。この崩御は後白河法皇が名実ともに治天の君として君臨するため…

日本一の大天狗の実態とは?異端の天皇だった後白河法皇 その7

  前回は後白河法皇が再び院政を停止させられたことをまとめた。  今回は改めて、後白河法…

日本一の大天狗の実態とは?異端の天皇だった後白河法皇 その8

 後白河法皇は暗君であった。だが、何故現在に至るまでに策謀家と今もなお、そのように評価さ…

日本一の大天狗の実態とは?異端の天皇だった後白河法皇 その9

 土佐坊昌俊は平家物語によれば、頼朝より命を受けて義経討伐を行うために鎌倉を出発し、上洛したという。  実際、彼は義経を襲撃し義経を殺そうとしたが、頼朝からの刺客というのはあくまで義経側の主張にしかない。  これに関して、呉座勇一先生は頼朝が誰かを粛清する時には、必ず鎌倉にて実行させている点を指摘している。  例えば、現在鎌倉殿の13人にて、佐藤浩市氏が演じている上総広常は、鎌倉の頼朝邸にて双六をしている時に、梶原景時に粛清された。  また、甲斐源氏の有力一門であった

日本一の大天狗の実態とは?異端の天皇だった後白河法皇 その10

 前回が後白河法皇が日本一の大天狗と呼ばれた理由についてまとめた。  今回は、後白河法皇…

日本一の大天狗の実態とは?異端の天皇だった後白河法皇 その11

 上洛を果たして平家を都から追い出した義仲だったが、実は多くの問題を抱えていた。  まず…

日本一の大天狗の実態とは?異端の天皇だった後白河法皇 その12

 後白河法皇の無能さを露呈させた法住寺合戦により、彼は再び幽閉されることになったのだが、…