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自分と場の役割とは|教室

2021.8.15(記)

書けば分かるのだよ。

何がって、思い通りに書けないってことが、分かるのだ。

それが自分との向き合いでもあるし、
力が試される瞬間である。

そんな時、教室という場があるからこそ、それでも書くというところに力強く落ちる。(ここがオンラインなどの一方通行なものではなく、対話的場所の為せる技であり、価値の部分。)
この過程全てが醍醐味であり、感性の育みにはものすごく大切。

そして、これらのジレンマを乗り越えてゆくたびに、人間性の成長があり、書く技術も奥行きを生み、向上するという。
実は、ものすごく奥深い世界だったりする。

ただ、勘違いしてはならない。
あそこまで上手になったらジレンマがなくなるんじゃないかって思いがちだが、そんなステージはなく、必ず相応のものがある。
むしろ、なくなることに危機感を憶えてほしい。何故ならば、葛藤なくして成長できる度合いなんて知れてるのだ。

手にしたくないような心地の悪い感情(ネガティブな感情)を持つからこそ、それをバネにしてぐんと飛躍する。(葛藤なくしてはたどり着けない領域があるのだよ。)

ただ、支えや指南が必要。ここがわたしの役どころ。
このプロセスを子どものうちから味わい、しなやかに成長していってほしいと願う。

そのためには、とにかく何でもやってみよう。やることでしか見えない景色を見てほしいのだ。その恵みを知っているからこその想いでもある。
わたしは、必要に応じてそれらを支え、文字の軌道修正をしていくサポート係。

自分が書けるのと、書けるように育てるのとは別世界。

アプローチには、これまでのあらゆる経験が投入されていく。これこそがオリジナルの部分であり、そこに生まれる循環こそが、ここでの働きの喜びなんだなあ。

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