中心でつなげる、つながる
[6 years ago. 眼差しのやさしさ破壊級]
|母の日に
母の日に、娘から一通の手紙をもらった。一生懸命さがにじみ出た心打たれる絵と文章。そして、そこには一生の宝物とも言えるこんな言葉が。
『 ママがこんなに大事に育ててくれたおかげで、こんなに大きくなりました。本当にありがとう。感謝しかないです。』
おかあさん、中学生にこんなこと言ってもらえるとは思ってもなかったよお・・・(涙)
手書きでしたためられたその文章は、まっすぐで、無邪気で、あたたかく。わたしが思うに、彼女そのものだった。もらった想いに心を重ねるみたいにしたら、自分の中の熱いものが、あとからあとからじわーっとこみ上げてきて、なんだか一つの塊になったような気がした。
|関係性のはぐくみ
「 あなたは大切な存在です 」
これは、わたしが子どもたちに一番伝えたいメッセージ。関係性を育む中での核であり、できればこの中核でつながる親子になりたいと思っている。
大切をメッセージとするのは、その実感の繰り返しが内側に力を生み、柱となって支え続けてくれると考えるから。そして、それらが根づくほどに、人にも優しくできると信じているから。強さってそういうことを言うんじゃないかなって。
それから、中核でつながるとは、軸はブラさずできる限りそのほかは宙ぶらりんにしたい(各々に任せたい)という意味。個と個が尊重し合って共存するためには、そのくらいの自由度が理想的な気がするから。
でも、
誰かを「大切にする」って、むずかしい。
言語が放つイメージほど単純でもないし、抽象的ではうまくいかないし。
また、
想いを「届くように伝える」だって、むずかしい。
そう思って行動しても、そう届くものでもないし。
威張ることではないけど、他者との間に認識のズレが生じることなんて朝飯前。(あさめしまえって。)
人間関係にはこうした数えきれないほどの事情がある。にもかかわらず、ちゃんと中心で、娘とつながれた感じがしたのは嬉しかったなあ。母の日に最高のギフトをもらったって、内なるわたしが言ってた(笑)
わが子も含め周りを幸せにしたいという一心で自分自身の成長を決意し、歩んできた年月をおもうと、喜びもひとしお。本当によかった。
ひとまずここまで積み上げてこれたのも、誰かのためだったからではないか。自分のためだったらとっくに投げ出してる、とも思う。変化の過程って痛みや不快感がともなう。そうまでしても変わろうとするにはワケがあって、結局のところ、わたしは周りに幸せでいてもらいたいのだ。そのためには変わることをいとわない、ということ。今分かったけど、「幸せな姿を見ていたい」というはっきりとした願望を持っているみたい。もっと言うと、それをとおして自分も安心したり満たされたりしているのであって。
つまり、与えているつもりでも、与えられているよ・・・いつも、いつも。
ああ、周りが神、です。
|わたしの中の変化
10代20代は、あれこれほしいモノがあって、手に入れ満たされることが喜びのような顔して生きてた。かなり。そこで多くを磨いてもらったし、そういう青春めいた幸せも楽しかったけれど、物質ではない世界で満たされるのもとーっても心地よくて、けっこう気に入ってる。と、少しずつ自分の中のモノとコトとのバランスが変わりつつあるのを感じる。これが年を取ったってこと、もとい成熟してきたってことなのか。時代の流れもあるのか。
いずれにしても、色んなことが変わってきてるみたい。
さあ、娘に返事を書こう。
ママこそ感謝しかないよと。
わたしにとっての子育てのバイブル本。
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