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癖からの脱却|教室

う〜ん、癖からの脱却(脱皮)を、尊重しつつどう導いていくかがほんと難しい。地道で根気のいる伴走だあ。(書道の話だけど他に通ずる)





癖を整えるための段階的なプロセスを考えていたら、ふと「脱皮」という言葉が脳裏に浮かんだ。
仮に、その様が脱皮であるとするならば、相応のアプローチが必要となる。
それはたとえば、力づくで変えるというよりも、自らが殻を破っていけるような伝達や支援ができるというもの。

ただ、お稽古の機会が限られている中で、スピードもいる。そう考えると、もう少し力を掛けることも必要なのかと葛藤する。

でも、待てよ、いやはや果たして本当にそうなのか。ある程度力づくで導いた方が早く身につくものなのか。疑問。
かといって早く身につくことだけを追い求めるのも違って、どうせならば、その先に繋がるような力(定着力、応用力)になって欲しいと願う気持ちもある。

それらを技術力において、また内側からつくる(内面)において、その両面からの有用策を検証し見極めていく必要があるように思う。表現とは、技術と精神の両輪から成るものであるゆえ。もちろん有効なアプローチの仕方は人によっても違ってくると考える。(人それぞれの目的によって変わるけど、一体どれが本質的な早道なのかねと思った。)

文字を観察すると、その人を形成する色んな事柄が現れていると感じる。言ってみればパーソナリティなのではないか。だからこそ、それを尊重しながら、軌道修正していけたらと思う。(ただし、個性とかパーソナリティみたいな文句で謳うと聞こえはいいし都合いいが、乱暴にそこへ収めてしまうと教える側の怠慢になり得るなーと感じる。お稽古に通う意義を失わないように具体性を持って向き合いたい。)

頭で分かっていても、なかなかできるものでもない。実際に直面すると迷いの連続。

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