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強くあるって

先日、息子の空手の大会がありました。

大きな大会だったので、会場も広く、人も多く、なかなかにプレッシャーのかかる状況、かつ出場経験も乏しいという条件下でしたが、結果は準優勝。周囲を驚かせたということがありました。

入賞はもちろん嬉しかったのですが、わたしが何よりも喜びを感じたのは、彼の人間性の成長でした。


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息子はこれまで大会には出ない主義でした。

例外にも出場したのは、地元の小規模なもの1回のみ。それも1回戦敗退、ほとんど手も足も出ずでした。試合に出ないをずっと通していたので、体験はそこでストップしたままに。また、普段の練習においてもさほど熱心な様子はなかったので、空手が彼の意志に沿っているかは、たびたび気にかけてきました。その上で、どんなことも彼自身の大事な通過点として受け止め、見守ってきました。

ここで重きをおいたのは2つ。彼がみずから考えて決めることと、その道のりや結末体験を親が奪わないようにすること。プロセス重視とし、それを軸にわたしは必要なサポートのみすると決めました。

おもに気を配った点は、手や口を出しすぎないという意図が、関心がないとか、適当にされている、見放されているというメッセージで相手に伝わらないこと。

そうして日々粛々と過ごす中、変化は突然やってきました。息子から全国大会へ出場したいとの申し出があったのです。おっ、とうとう大きく動くときがやってきたぞと、人知れずワクワク感を噛みしめました。気づけば、はじめてから2年以上の年月が流れていました。

だから彼が大会に出る、それだけで胸一杯。ミッションコンプリートくらいにおもってました(笑) が、そのあとさらに嬉しいことがあったのです。それが試合で露わになった、人間性の成長でした。


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対戦相手にはいろんな子がいました。

声やパフォーマンスの大きい子、勢いのある子、また技においても様々。そこに環境条件なども加わり、その上でじぶんがどう出るかに尽きます。傾向としてよく見られたのは、力や勢いに任せて相手をねじ伏せる動きと、強く見せたいという心意気。ただでさえ、勝ちたい気持ちが高まる本番ですから当然のことです。そのすべてが微笑ましく見えました。一方でふとおもったのは、強く「見せたい」という裏に何があるか、そしてそれがどう作用するか。これが力を発揮する方に作用することを願いつつ、実際は足かせになりもったいないなと感じたことの方が多かったのです。とくに大舞台では、力みすぎることで冷静さや安定感、柔軟性を欠いてしまいがち。結果、動きが空回りしたり、力任せになったり、、、楽しむ気持ちを侵していくような。

息子はといえば。

意外にも、冷静かつ等身大でした。何がそうさせたのかは謎ですが、この「等身大で在る」その精神こそが本質的な強さに感じ、母として嬉しかったことでした。彼の立ち居振る舞いからは、威嚇のようなものは感じられず。つまり、じぶんを強く大きく見せようとすることには、ほとんどエネルギーや意識が注がれていなかったとおもうのです。名前を呼ばれて出ていくときには弱そうに見えたくらい(笑)自身を盛ることも卑下することもなく、目の前の一人にただただ空手で挑んでいた。この極めてシンプルな一連の動作がすーっと流れていて、潔く、清々しく。

これらすべてをとおして、わたしには「強さ」というワードと感覚が落ちてきて・・・もしかしたらこれが、「力でねじ伏せるのではなく、確固たるじぶんをもって相手を制する」ということかもしれないと悟ったのでした。


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おもえば、1歳の頃から、瞳の奥にある「強さ」を感じてきました。まだ幼くて愛らしいボクに、男気が溢れている。ある時ふと、それがいい形で発揮できる何かがいずれ必要になるかもしれない、そんな気がしました。そこでたどり着いたのが、空手道だったのです。5歳のことでした。

2歳頃。人懐っこさと、ふわふわ頭と。



8歳の今おもうのは、なんとなく彼に合っているかなってこと。それから、力の道、つまり力の正しい使い方について、小さな頃からからだを使い学べるのは、とてもありがたいということ。なぜならば、そのプロセスを体験として持つからこそ、強くあること、優しくあることの本当の意味に近づけるとおもうから。

いつもご指導くださっている館長に感謝の気持ちをこめて。





わたしの育児の原点はここから。

付箋いっぱい。宝物。


記事に関連して、佐々木正美先生のことばを。

子どもはだれもが、自然の向上心をもっているのです。ほうっておいたって、本来はみんなしっかりしようと思っています。
子どもは本能的に、りっぱなことをして、親やみんなから受け入れられたい、ほめられたいという気持ちを十分もっているのです。ですから、よほどのことがないかぎり、ありのままの子どもでいいのだという態度で見守っていてあげれば、それでいいのだと思います。


成長には順番があるし、いつできるようになるかは子ども自身が決めるものです。親が決めるものではありません。


子どもの精神科の医者として、お母さんやお父さんにお願いしたいことは、子どもの笑顔や喜ぶ姿に、ご自身が喜べるご両親であってほしいということです。親の希望どおりのことを、子どもがしてくれることに喜びを感じるのではなく、子どもの希望にこたえられることに、幸福を感じられる親であってほしいということです。
人間の本当の幸福は、相手の幸せのために自分が生かされていることが、感じられるときに味わえるものです。このことは本当に本当です。自分の幸せばかり追求することによって得られる幸せなど、本当の幸せではけっして、けっしてないのですから。


ほんとうに。ただただ「その子」の幸せに純粋であれる大人でいたいものです。

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