見出し画像

片付けられない

料理が苦手と同じレベルで、片付けが苦手と言えないこの空気感はなんだろう。モノを捨てないといけないというプレッシャーを感じたり、片付けられないのは、なんらかメンタルに問題あり! とスタンプを押され、まるで脅迫でもされているかのような気分である。「もぉうるさいなぁ。あんたに言われたないわ」

断捨離やお片付けの本やコラム、告知文は、何か上から目線のようなものを感じてしまう。モノが溜まる部屋やモノが捨てられないのは、心の問題だとかいうのが目に入ると「黙っとけ」と思う。片付けれてない汚机の人は仕事ができないとかいう奴らには「それとこれは別の話や!」と言い返してやりたくなる。断捨離のいく末はミニマリストなのか知らないけれど、その人たちの暮らしには1ミリも憧れない。モノのない部屋はスッキリなのかもしれないが、体感として寒そうだ。寒そうなのは不幸せな感じがどうにもしてしまう。日頃からそんなことを思っていたので、年始の文章講座のお題「アンチコラム」は、このこと書いてやろうと張り切って書き始めてみると、どうも「ものが捨てられない」こと「ものを片付けられない」のはどうも別のことなのかも…… と思って、Google先生に聞いてみたら以下のように書かれてあった。

「整理」:不要なものを処分し、必要なものだけを残すこと。(断捨離のことなのか?)
「整頓」:必要なものを使いやすい場所に置き、必要なときに取り出せる状態に保つこと

私の場合、整理は「ものが捨てられないのではなく、その出番を待って熟成させている」からしない、ということになる。気に入って買ったけれど2−3年寝かせておいたコートはこの冬、大活躍である。「ようやく出番がきたな。一年着なかったからって捨ててたら財布もたんわ」箪笥の肥やしにしておいてよかったなと思う。それに、「なかなか飽きない」というのもある。30代半ばだったか、着ていた服が似合うと言われ、大学生の頃に買ったものだといえば、物持ちがいいだとか、体型が変わらないことを、どちらかいえば褒められてたように思う。今もその服を時々着るが、いつ買った服だとか、いちいち口にしない。もれなく「捨てられない人」「過去に執着している人」認定されそうだからだ。
ちなみに、整頓については「片付けると、どこに片付けたかわからなくなってしまって探しまくる」という現象が起きるため、片付けないという選択をしている。同居する家族は、毎朝のように探し物を訊いてくる。「僕のゴルフシューズ知らん?」今日はゴルフの打ちっぱなしに行くようだ。昨日は一緒にレッスンに行った。その後、出かける用事があったので靴を履き替えていた。ゴルフシューズは白いスーパーの袋に入れてたな(靴の袋、高いやつ買ったのに、なんでスーパーの袋やねん)と記憶があった。今朝トイレに行った時に、玄関横の部屋の入り口あたりで白いスーパーの袋が目に入ったので、もしかしたらそこじゃないかと言うと、あったとなる。ある日は3つほどの家族の探し物の在処を全部答えた。
寒くなってきた頃、私がエアコンのリモコンが見当たらないと、引き出しやらあちこち探していたら、家族が「それはここちゃうか、ちょっと待っときや」と私の方を見ながら、ソファーに山積みになった洗濯物の底を探り「はい」と渡された。得意げな顔をしていたのがおかしくなって笑いながらスイッチをエアコンに向けた。(なんの手品やねん)これが私たち家族なりの整頓である。このような日々の時間は無駄だといえば無駄だろうが、当人たちはそれなりにやっていて、そう困ってはいない。「無駄こそ愛」というフレーズをどこかで聞いて、いつか使ってみたいと思っていたが、ここで使ってもいいように思えてきた。

いつ頃からからか、「片付けが苦手」は生きにくくなったように思う。「片付けられない」が、心の問題と引っ付けられるようになってからのように思うが、それまでは「片付けが苦手」は「料理が苦手」と同じレベルだったと思う。いずれも堂々と自慢できるものではないが、もし「料理が苦手」と言っても、それはメンタルに問題あり、というようなスタンプは押されなかったように思う。学校の体育が苦手、音楽が苦手と同じだと思うのだが、近頃は「片付けが苦手な奴らはダメ人間」と、上から見下ろされ、何か許されない空気が漂っているのである。おそらくこの犯人は「お片づけブーム」ではないかと思っている。お片付けを人生や生き方に引っ付けて、マイルドな自己啓発系で多くの人に響いだのだろう。これをきっかけに、お片づけや断捨離ができ人生が良くなったという人間もいるようだが、「よっぽどひどかったんやろな」としか思えない。
それに、メンタルや生き方だけでなく「汚机の人は仕事ができない」とも言われるようだ。合理的、効率的であることがよいとされるコスパタイパ時代には、断捨離ができる、片付けができる人こそが、仕事も優秀だということなのだろう。しかし、天才と呼ばれるアインシュタインやスティーブ・ジョブズもグチャグチャになってる仕事机がネットに上がっている。文章講座では「向田邦子なんか、あんなに美人さんやのに本棚から紙がペロッと出てるやん」とスマホの画像を検索して写真を見せてくれた。気になったので、他に「作家の書斎」などで画像検索してみると、林真理子は広い書斎に本の山積みしていてその本に埋もれた、ようやく椅子に座れるくらいのスペースでものを書いている姿だったし、坂口安吾の部屋は、まるでドラマのワンシーンをセットで作り込んだのかと思うほど、ぐっちゃぐちゃの部屋だったが、ここから生み出されたのかと思うと白黒写真がカラーに見えてくるような気がした。天才たちの部屋の散らかり具合を見つけてはニヤッとし、ぐっちゃぐちゃの部屋なのに、そこになにか美意識のようなものを感じてしまうのはなぜだろう。

いいなと思ったら応援しよう!