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#03_3歳の男の子を里子に迎えた、「さき」の話

私42歳、夫52歳。
養子縁組は諦めた。


子どもを迎える方法は「特別養子縁組」と「里親制度」と二つある

「特別養子縁組」は民法に基づいて法的な親子関係を成立させる制度であり、養親が子の親権者となる。一方「里親制度」は、育てられない親の代わりに一時的に家庭内で子どもを預かって養育する制度で、里親と子どもに法的な親子関係はなく、親権者は実親のままである。また、里親には、里親手当てや養育費が自治体から支給される。

なぜ二人は「里親」を選んだのか、聞いてみた。

「養子縁組を希望する人の方が、圧倒的に多いの。やっぱりみんな自分の子にしたい。でも、東京都としては、里親制度を利用する『養育家庭』を増やしたいみたいで。だから、どちらかにしか登録ができないルールなの。」

「そうなんだ。知らなかった。」

「養子縁組は、出していいと言う家庭が少ないのに対して希望者は多いから、登録しても2年も3年もチャンスが巡ってこない。実際に迎えられるのは登録者の20〜30%なんだって。登録をすると、親側に順位がつけられてね、一番上から声がかかる仕組みなの。この時私が42歳、夫52歳でしょ? 2人とも年齢が高いから、私たちよりも、もっとふさわしい家庭が想定できるって判定されてしまうんだって。結構難しいですよってだいぶ脅された(笑)。だから養子縁組は諦めたんだよね。」

授かることにも、産むことにも、年齢制限があるのは知っているが、「養子縁組」にも実質、年齢制限があった……。なかなか辛い現実だ。

現在日本では、生みの親のもとで育つことができない子どもたちが約42,000人いるという。その約80パーセントが乳児院や児童養護施設などの施設で暮らしている。それらの子どもたちが施設にやってきた様々な「理由」に思いを馳せる。

「この時点ではまだ、私も白田さんも自分の親には何も言ってなくて。養子縁組となると、私たちの戸籍に入るから、相続とか色々と考えると、私たちだけの話ではなくなってくるじゃない?でも、養育家庭として子どもを迎え入れるのであれば、親にも「文句ないでしょ?」って言えるかなってのもあった!」

そんな流れで、さきたちは「里親制度」への登録をした。

「登録したら、割とすぐに声がかかってね。その子との“交流”の準備をしてたんだけど、最初に会う日の2週間前くらいに、突然「養子縁組」に切り替えられちゃって。そうこうしているうちにコロナ禍になって…… そこから半年くらいはなかなか話がなくて。」

交流とは、里親を希望する者が、その子が生活をしている乳児院などの施設へ出向いて、面会などを繰り返していくことを言う。物語で描かれるように、孤児院に親となる人が訪ねてきて、いきなりその日にもらわれていく……というようなことは、ないようだ。

「2020年の8月に話があって、初めて会うことになったの。」

登録から約11ヶ月経って、初めての面会ということになる。

「で、白田さんが言ってたのはね、こちら(自分)側で何か操作するのは違うから、子どものことは選ばないって決めようって。話が来た子を、迎えるんだって決めようって。」

すごい。白田さんのその言葉に私はドキッとした。

「私もそれには賛成で。選び出したらキリがないし、それに『選ぶ』ってさ、なんか違うんじゃないか?って。」

「だから、初めて会うことになったその子が……、うちのトモキです。」

さきが、ニコッと笑った。




養育家庭として認められるまでの道のり。


2020年の8月、当時2歳のトモキくんに、さき夫婦は初めて会った。

「最初って、どうやって会うの?
お父さんお母さんになる人だよーって紹介されるの?」

「いや、それは恐怖だよね。
いきなりそんな事言って知らない人が現れたら(笑)」

「乳児院には保育員さんが何名かいてね、当時のトモキの担当者が“まゆちゃん”って人で。だから、まずは『まゆちゃんのお友達だよー』って会うの。でも、最初はたった10分。コロナ禍ということもあり、30分以上の面会は禁止だったのよ。」

「1週間に1回、たった10分じゃさ、わぁ〜〜!って泣いて終わり。次第にまゆちゃん抜きで会う練習をするんだけど、3人にされた瞬間に固まって。なんとか10分間耐える、みたいな。」

毎週これを重ねていき、徐々に慣れてきて、一緒にいても泣かなくなる。そこからゆっくりと丁寧に時間を延ばして行くのだそうだ。

最初の2ヶ月は、毎週1回10分〜15分。

10月になると、会う時間が30分に。

11月は1時間になり、12月には半日になって。

1月から家に連れて行ってもいいよ、となり。

毎週1回、家で1日を過ごす。

「それでも、施設から出て家に向かう時は泣くんだけどね。『僕、どこに連れてかれるのーっ!行きたくないよーっ』て(笑)。でも、5分くらい泣いてダメだとわかると……「バス。バス。」って、その辺の都営バスを指差して言い出す。まだそんなに喋らない子だったから、単語でね。幼いながらに、気持ちを切り替えてるんだなって思うと愛おしくて、可笑しくて。」

2月には、毎週土日ごとにさきの家でのお泊まり体験をする。

「でね、3月にトモキの3歳の誕生日があったから、お家で一緒にお祝いしたくて。誕生日の前日にもう、家に来ることにしたんだ。」

そこから1ヶ月間、ずーっと面倒をみるという期間が設けられる。最終試験のようなものだ。その期間中に、定期的に児童相談所の人たちが5、6人で家にやってきて、いろいろとチェックをして、「大丈夫そうなので、審査にかけます。」となるのだそうだ。

その審査が通ってやっと、正式に「養育家族」としての許可が下りる。

「すごい。長い道のりだね。でも、そりゃそうか、家族になるんだもんね。」

着床してから、産まれて出てくるまで十月十日。人は、自身の体の変化と共にゆっくりと母になって行く。さきと白田さんは、初めての面会から8ヶ月をかけて、親になる準備をして行った。


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