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ベルリンの滞在地に到着した
ついに今日、ベルリンの宿泊先に到着しました。これをもって、この滞在準備のマガジンは閉じていこうと思います。
ここまで読んでくださったみなさん、ありがとうございます。準備を始めて数ヶ月、ちゃんとたどり着けたいまのことを最後に書いておきます。
ここはゴールではなくて始まりです。だからまだ、何か達成感があるとか、そういうものは感じていないのが正直なところです。
だけど、一旦私はここまで来ました。たくさんの方の支えを受けとって、自分でもたくさんのエネルギーを注いで。
そんないまの気持ちを残しておきます。しっかり夕食を食べて、心がほっこりとしている、ベルリンに着いたいまの私の気持ちです。
私のこと
ギリホリの30-31歳の年代
会社員を辞めて約半年間韓国留学
帰国後、準備を経てドイツワーホリ
日本の仕事を持ち込む形式で収入を得る
前職とはまったく畑の違う、コーチングを仕事に
円で働きユーロで住むことが不安、でもまずは挑戦
▼前回の記事
▼ドイツワーホリ準備の記録マガジン概要
※記事は数ヶ月前に書きました。有料記事ですが無料で全文読めます☺️
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ここに来るまで
ここに来るまでに、いろんなことがありました。
ドイツにまた来たいと思ったのは、いまから9年前のこと。22歳の時です。自力でドイツに住むと決めて、戻ってくるまでに9年もかかりました。
会社員を8年やって、途中にはうつにもなったりして。退職しようと決めたのは、2年ほど前のことです。
すぐに留学エージェントの話を聞き、コロナの影響でドイツは入国できるビザがないことを確認して、韓国から先にいくことを決めました。
当時の私は、誰もが知るような大企業の本社に籍を置き、20名のメンバーを担当する役職についていました。
だけど私は、海外に逃げ出したくて仕方がなかったのでした。
そんな私が、今回ドイツに来る頃には、日本に居たくてたまらないほどになっていました。人の気持ちとは不思議なものです。
会社員だった私はフリーランスになり、新たな私を生きています。
新たな私の1章目が韓国だとしたら、ドイツの私は2章目です。フリーランスのライフコーチというあり方で、ドイツに住み始めます。
ベルリンの滞在地に到着した
今日やっと、ベルリンの滞在地に到着しました。
ホストマザーと初対面を果たして、素敵な部屋にドキドキしながら過ごしています。余談ですが、カバー写真は今回住む部屋です。
海外に住むとは、キラキラ綺麗なことばかりではありません。今回もすでにいくつかの想定外なことに出くわしています。
家の鍵を開けられずスーパーに行けなかったり、部屋が寒くてマフラーをつけて過ごしていたり、灯りが暗くて作業がしづらかったり。
だけど、私はここにケチをつけにきたのではないので、「そっか〜」と受け流してみようと思います。
期待と異なることは、心をざわつかせるものです。この期待とは、他人に対してだけではなくて、自分に対しても抱くものです。
まさか鍵を開けられないなんて、日本にいたら起きないのだけど、異国だとそんなことも起きます。
だけど、それに腹を立てるのではなくて、そんなこともあるねと受けとる、あるいは受け流します。
そんな生き方を、新たな私の第2章 in ドイツではやってみようと思います。
この第2章のことも、引き続きnoteに書いていきます。私の第2章にも、ご一緒いただけたら嬉しいです。
まずはここまで見守っていただき、ありがとうございます。
▼最後に
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました!気づけば20記事も書いていました。
そして、ドイツに住む日々を綴るマガジンも始めました。ぜひこちらからご覧ください☺️
ドイツに来る前のことを知りたいと思ってくださる方は、こちらをご覧ください。
7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️