私の大切な地元とあの頃の記憶
長くお世話になっている美容院に行きがてら、街中を歩いてJRで帰る。
私は日本にも拠点を持つなら地元以外にないと思っているのだけど、なんだか今日のこの時間にすごくストレスを感じるなと思っていて。
なんだろうと考えてみると、嫌な体験と場所が重なるからなのだろうと気がついた。
高知市内の学校に通った6年間のこと。前職で4年間この街を走り回ったこと。
人間とはこうして生きるものなのだなぁと学びながら、絶妙に人を信頼できない環境で戦う日々を過ごしたというか。人を信頼できないというのは、環境がすべての原因ではなく、当時の私の問題も影響していたとは今となればわかるけれど、当時はまだまだ若すぎてわからなかった。
通勤通学のJRに揺られては、早くこの街から出たい思いが募り、出てからはもう二度とここに住まなくともいいとさえ思った。
でもそんな気持ちは忘れて、いくつかの土地に住んだ私はいま、日本に拠点を持つならここしかないと思う。
正直市内には住みたくなくて、実家の近くに限るけれど。人の気持ちは変わるものだなと。
でも、ここまでの体験がなければ、きっとこう思うこともなかった。ずっと地元に暮らしていたら、私は息苦しさからどうなっていたかわからないな。
夕方の、二両編成のJR。
私が学生だった頃、この時間だったらもっと学生が乗っていてもおかしくなかったような気がするけれど、今日の列車は満席にならない。
きっと当時から同じ車両、でも時は流れたのだなぁと思う。私も世界も、変わったのだなと。
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7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️