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シータヒーリングの最終回と死への恐れの手放し
帰国前最後の鍼に行き、この半年ほどお願いしていたセッションの最後の回に臨んだのち、ちょうど家族が出てきて空いたのでお風呂に入る。
すっきりさっぱり、体は芯から温まり、自分の部屋に戻って「今日もいい日だった〜」とお気に入りのベッドへ腰をかける。
時計を見るとまだ16時半ということに驚く。これが日常とはありがたいなと感謝する。
私がドイツにいると、仕事を始めるのは早くとも日本の17時。でも私が日本に居てみると、この時間ってもう1日が終わる頃だ!と気がつく。
あらためて、時間に制限があってもご一緒くださっている方への感謝が湧く。クライアントのみなさん、いつもありがとう。
この一時帰国の期間もいろんなことがあった。ドイツに住み始めて、今回の一時帰国は3回目。
日本での滞在中は毎度いろんなことが起き、内面の成長が嫌でも促されて、帰りのドイツまでの飛行機では最後のトリートメントがされるかのように整って帰り着く。
自分でもどういうことかよくわからないけど、なんだかいつもこんな感覚。
今日は特に半年ほど連続で受けていたセッション、もとい連続のシータヒーリングの最終回があって、話したことで死というものへの恐れの感覚が変わった。
実はこれまでの3回の一時帰国、初回は親戚、2回目はむかし一緒に暮らした恋人、3回目はとある団体で、それぞれに訃報を受けとった。
これらのことを今日のセッションで話すと、特に私は若い人の死に痛みを感じていたし、同じことが家族に起きることを恐れていたのだとわかった。
この半年、私の人生ではスピリチュアルの学びが進み、死というものは偶然に意味もなく引き起こされることはない、魂や宇宙の計画通りに起きるのだと思うようになった。
けれど、大切なひとが亡くなるということがあると、当たり前にあると思っていた未来が無くなることを想像し、私は強い痛みを感じるようだと理解をした。
いくらそれが魂の計画通りだとしても、人間である私はそれを知らずに生きているから、それが魂の計画なのだと受け入れるまでには時間がかかる。
強い痛みを心に受けとり、自分をなくしてしまうような感覚に、恐れを感じていたようだった。
(今回のサムネは一番疲れていたときの私)
でも、どうやらその恐れは必要がないというか、死というものに痛みを感じねばと思う必要はないのだと、セッションで話すうちに腑に落ちた。
それと、ヒーラーさんからもらったメッセージとして、私自身のこういう体験をもとに、誰かが出会う死とその痛みの癒しに向き合うのもお役目ということに納得した。
そういえば私は、小学生の頃からおばあちゃんの死を恐れ続けていたし、昨日だって家族がみんなこの先の大きなポイントを生き延びられるのだろうかとホロスコープに尋ねていた。
(ちなみにおばあちゃんは、あれから20年が経ってもまだ元気に生きている。)
そうやって私はどうやら、大切なひとたちの命と死、恐れを、日常に抱えて生きている。
それと、いまとこれまでにご一緒したクライアントのみなさんからも、コーチングという場を通して死に向き合うお話を少なからず聞かせてもらってきた。
自分ではその傾向に気づかなかったし、死というテーマと向き合うにはこの私では力不足だと思っていたけれど、そうか、それは私のお役目のひとつだったのだな、向き合っていいのだなと感じて引き受けることにした。
今回受けてきたシータヒーリング。
私は既にやっている「コーチング」のような、目標に向かっていくようなものだけでなく、「癒し」や「ヒーリング」というものも本当は取り組みたいようだと、少し前から気づいていた。
でもなんとなく、シータヒーリングには呼ばれないような…と思っていたところで、急にレイキには呼ばれて1月のうちに学んだ。
コーチングが言葉を中心に変化を起こすものだとしたら、シータヒーリングは言葉の力を借りてヒーリングが進むもの、レイキは言葉がなくともヒーリングを起こせるものと私なりに解釈をしている。
私はこれまで言葉を扱う手法としてのコーチングを持っていたけれど、今回のレイキの学びで、まだ持っていなかったまったく別の手法を手に入れたという感覚でいる。
レイキのアプローチだと、言葉はなくとも必要な変化を促すことができ、しかも力のかかるdoing的なものではなく、静かなbeing的な関わりができそうだなと。
この関わりが私のレパートリーに入ったことがとても嬉しくて楽しみな気持ちでいる。
そんなわけで、今回の一時帰国。
これまでのように死というテーマを与えられたけれど、質感は少し変わったように思う。
私にとっての死への向き合いは、一旦ここまでと終わりを与えられたのかも。そのうえで、これまでに向き合ったものを意識して持ち、これから使うことを示されたのかも。
そんなふうに受けとっておこうと思う。
力まずに、この地球を楽しむ。私がここのところ気になっているのがこの在り方。
私の知らない楽しみ方がまだまだここにはありそうだし、この先の出来事との出会いも楽しみ。
そんな心で、またドイツに戻って暮らしていこうと思います。あなたの人生のこれからも、素敵なものでありますように。
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