生きる
谷川俊太郎さんが永眠された。私は大ファンというわけではないけれど、ある有名な詩をとても大切に、お守りのように思っている。
国語の教科書にも載っている詩。初めて見た当時はなんとも思わなかった。
大学生になって、この詩に思わぬ形で再会した。
ポエトリーリーディング。
「Pelicule」で有名な不可思議/wonderboyさんが、谷川さんの「生きる」をポエトリーリーディングという形で披露した。
優しいメロディーに、谷川さんの詩が乗っかっていく。詩が自分の中にスッと入っていく。気づいたら、涙を流していた。誇張ではなく、初めて聴いたベッドの上で本当に涙が流れた。
コロナ禍でオンライン授業ばかりで気持ちが塞ぎがちになっていた。日々YouTubeを未漁ったり、Twitterをダラダラ見たり。外出の支度をするときも、動画を見ながら。それが当たり前になっていた。
「生きる」を聴いて、自分が自分の感覚に鈍くなっていることに気づいた。呼吸はどのくらい浅いか、どれほど身体が冷えているか、どれほど眠いか、身体に違和感はないか。心に違和感はないか。
そんなことに意識を向けてみよう。目の前のことに意識を向けてみよう。そうしたとき、世界は鮮やかだった。晴れの日はより嬉しいし、水を飲むときはよりおいしい。日々学ぶことは面白いし、体調管理を適切に行うことができる。身体の変な部位に力を入れず、リラックスして過ごせる。
いろんなことが効率化され、「ながら」という言葉も使われなくなるほどにマルチタスクが馴染んだ世の中。でも、
・歩こうと思って歩く。歩くときの姿勢に気をつかう。景色や空気を感じとる
・食べようと思って食べる。ひと口ひと口味わって食べる
・お風呂に入る。自分の身体と対話する。冷えていた身体が温まっていくのを実感する
幸せはありふれている。現代になり見えにくくなってしまっているかもしれないけれど、確実にそこにある。拾い集めていきたい。
谷川さんがのこしてくれたたくさんの言葉を、これから探しに行こうかな。
ここで終わっても良いが、最後に。
「今どこかで兵士が傷つくということ」
今だからこそ、真剣に。真剣に生きよう。