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#9 妻は夫の三歩後ろで今日も寝転ぶ

五日坊主

あれ?先週は創作意欲に溢れて、どんなネタでもエッセイに書き下ろせる天にも登る勢いだったのに、今週は、書けない。毎日1日1投稿を自分に課したのに、わずか5日で挫折。それも2回くらい日付が変わってから投稿したから、noteから「5日連続投稿」のメダルをもらうこともできなかった。三日坊主は免れたけれど、これでは五日坊主だからまったくもって褒められたものではない。

書けなくなったきっかけは、わかる。夫と時間を過ごしていたからだ。夫といると、スマホもPCも圧倒的に見なくなる。見ても集中しなくなる。夫といると、大抵テレビか動画を見る。 

ちなみに私はテレビも動画も好きではない。嫌いってほどじゃないけど、一人じゃ観ない。一人でいるときは、日記をつけたり読書をしたり研究したり勉強したり、内面に閉じこもる。ゆっくりお風呂に入って、ハーブティーとか飲んで、たっぷり自分の時間を楽しむ。

でも今のところ、夫と過ごす時間はいつも動画視聴一択だ。ステイホームの時代にあって、動画を観る以外の工夫は生まれていない。

それというのも、私たちがまだ別居しているのが要因だと私は考える。普段、生活を共にしていないから、過ごし方が恋人のままなのだ。過ごし方が恋人のままというのはつまり、一緒にいる時は一緒のことをするということだ。だから、夫と一緒にいるときは、自分の世界に閉じこもってnoteを書く気がまるで起きなくなる。

・・・という論理で自分の五日坊主を正当化しようと筆を進めていたら、あることに気がついた。一緒のことをしていない時間も結構あるぞ、と。

新妻のつとめ

大阪と京都の通い婚生活では、週1回はどちらかがどちらかの家に1〜2泊泊っている。なので、一緒に住んでいないとはいえ、だいぶ生活圏を侵食しあっている。

夫の仕事が忙しかった時は、私も仕事帰りに1時間半かけて夫の家にいってお夜食を作る新妻っぷりを発揮したりもした。

夫はいいやつなので、素人の私が作ったご飯も「おいしいおいしい」と食べてくれる。もしかしたら、夫が「おいしい」といってくれるのは、私に料理をさせるための戦略的発言かもしれない。でも私は、自分の料理はまぁまぁいけると実際に思っているので、素直に「そうだろう」と思うことにしてる。だから、一食何万円もする高級懐石を日々作っているプロ相手に、平気な顔してご飯を作る。このように、厚顔無恥をモットーにすることは、料理人の妻をつとめる秘訣だ。

と書くと、まるで私が夫に料理を振る舞っているかのように思うだろう。しかし実態は、私がご飯を作る割合は1割未満だ。9割以上の割合で夫の方がご飯を作ってくれている。

妻は夫の三歩後ろでぐーたら寝転ぶ

最近は夫の仕事が落ち着いたので、主に夫が家事を担当してくれている。夫は家のことは大変よくできる。お買い得と新鮮さを追求した買い出し。安い食材だけで繰り広げられる3食の準備。そして後片付け。食後のコーヒー。たまったゴミの交換。

なんてスペックの高い男なのだろうか。あまりにもテキパキこなしてくれるので、私の出番はない。そのため、ソファーか布団でだらだらすることに、私は自分の役目を見出している。つまり、こう言い換えることもできる。奥ゆかしい私は、家の中でも三歩下がって夫を立てている、と。

京都の彼の家でも、大阪の私の家でも、私は夫の働きっぷりに甘えてぐーたら過ごす。その間に、夫はせっせと家のことをしてくれる。だから夫は時々、「愛ちゃんは全然僕にご飯を作ってくれない」と私にクレームを出す。私は笑って誤魔化す。私は大トリなので、後に控えているのである。だってコロナが落ち着いて、夫の仕事が本格稼働したら、ワンオペになる未来が目に見えているのだもの。楽できる間は楽させてよ、というのが私のいい分だ。

そんなこと言うと、「そんな言い訳して、僕に作ってくれる気ないんでしょ」と夫は拗ねる。そんなことはない。作ってあげようという気はある。もとより私は、実家で父にご飯を作る毎日に喜びを感じていた時代もあった。料理で愛情を表現するポテンシャルは高い。そのはずだ。

ただ、夫にご飯を作りたいのは今じゃない。今は少し、なんでもやってくれる夫に私は甘えたいのだ。いいのです。妻が幸せそうに笑っていたら、君も幸せでしょ?そう思って、私は開き直ってる。

夫といると私のnoteが滞るのはこんなわけだ。つまり、キッチンに立つ夫の3歩後ろで、ソファーに寝転んで、TVや動画を観るのに忙しいというわけである。ちなみにその時の私は、たいてい夫がいれてくれたコーヒーかお酒を飲んでいる。こんなわけで、私は夫といるとき、noteが書けない。



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