今更なのですが、このタイミングで自己紹介をします。主に、「なぜnoteを始めたのか」きっかけを具体的に綴っていけたらと思います。 私は現在23歳で、一般企業で働いている女性社員です。営業職です。 いつかは、文章を書ける仕事に就きたいと密かな夢を持っています。 趣味は、海外ドラマや洋画を観ること。特にウォーキングデッドが好きです。 noteを始めたきっかけは「文章を書くことが好き」というのが一番の理由。また、自分の考えや価値観などを誰かに共有していきたいからです。私は「変わ
吉本バナナさんの代表作キッチンをやっと読みました 私が求めていた答えがたくさん詰まってた 時間が足早に流れていて 大切なモノ人を亡くしていく中 これから失くそうとしている中、 当たり前の日常の隣にはすぐに死があること 歳を重ねるにつれて、 そんな情けなくて虚しい現実の輪郭が くっきりと浮かび上がってきて辛かった 楽しみにしている明日、 幸せが舞い込む未来を生きたいのに きっともっと苦しくなるんだろうとか考えては 生きる意味について問いかける日々 でも誰も答えを持ち合わせてい
若さは短命であることを知らなかった 知らなかったことは嘘になるが 本質的に理解していなかった 10代の頃ゆっくりと流れていた時間が 私を惑わして、残酷なその事実を悟れなかった 初恋の時に見た景色や香り、そこに纏わる感情 語り合い時が止まったように感じた不思議な時空 きっといつかこの無垢な五感の端端に触れた 記憶も忘れてしまう時が来る 「思い出」として美化してしまう時が来ることが 恐ろしくて私は泣いていた その当時のままの寂しさ、虚しさ、若さがもたらした愛への信仰心を、そ
千と千尋の神隠しの劇中に出てくるこのセリフがとても印象的だ。「忘れていない、ただ思い出せないだけ」 27年間の人生、忘れている記憶ばかりだと思っていた。しかし、ただ、「思い出せない」それだけだった。 人と久しぶりに会話をする中で、相手が覚えていることを私は忘れていて、会話の中で思い出すことができる時がある。 つまり、誰かの記憶の中に、私が思い出せないことがたくさんあって、 私の記憶の中には、誰かが思い出したいこと、思い出せないことがたくさんある。 でもそれは、誰も忘却
9月9日、この日が最期になると思わなかった 突然、愛犬が息を引き取った 体調が優れない日もあったが、 突然のことだった もふもふだったあの毛並み、 いつも鼻を突きつけて匂いを嗅いだ優しい匂い 肉球から香るとうもろこしの香り それはもう二度と触ることもできず 嗅ぐこともできない 地元の駅に到着した時から 愛犬メイの残像が消えなかった 一緒に歩いてきた11年間、 駅から家までの道にたくさんの時間や想い出がある もう、この世界にメイはいない そんな世界が始まっていくこ
夏になると、必ず海に行く。 波の音と、海の家の屋台のやきそば、 それと、日焼け止めの匂い。 何も変わらない。 食べたいものも、聞こえる波の音も、 少し焼ける肌の色も、飲み干したいメロンソーダも 全部、子供の時と同じだ。 戻らないといけない場所を思うほど、 いつまで経っても追いつかない心があって どうしようもない虚しさを夏に感じる。 何も変わっていないからこそ、悲しくて 何も変われないからこそ、もどかしい。 夏の終わりはなぜか、 聞こえないはずの音も、声も、感情も、 全
二子玉川駅から大井町線に乗り 自由が丘の一つ手前にある 九品仏という改札も狭い 小さな駅 自由が丘駅で用事があったのだが、 衝動的に私は九品仏で降りた それは、午後4時、夕暮れが空に描かれていた この駅には思い入れがあって 中学高校の6年間、 通学路として毎日通った 学校は九品仏と自由が丘の中間に位置している、 ティファニーブルーの屋根と、 そのてっぺんにある十字架がとても特徴的だ はじめに、九品仏の駅に降り立った日は、 中高受験に受かった日 今は亡き祖父と、祖母と
社会人5年目、決まった仕事、 ルールに縛られ生きていく中で 自分自身の生きるリズムを見失うことがある。 どんなに昔の自分を取り戻そうとしても、 歩く歩幅も、表情も、着る服も、纏う香水も、 社会に飲まれ、客観的視点に縛られるようになった。 自分が好きなことも、得意なことも、長所だって もはや思い出せない。 そんなとき私は、 サーフィンを楽しむことにより、 本来の自分自身のリズムを、 ありのままの自分を取り戻しにいく。 波のタイミングを逃して、波に巻かれる瞬間 波と一緒に海
恋の結末はいつも曖昧だ。 相手に届かない、届ける勇気もない片想い、 互いに好きであっても、共に生きることが叶わない最期、 切り出された別れの解釈に苦しむが、 相手の想いを未だに読みとれない焦れったさ、 その全てが曖昧だ。 曖昧に終わった恋愛は、一生心に残るから、忘れられない恋となる。 深く信じた永遠があって、でも簡単に消えてしまうほど 脆くて儚かった。 だからこそ、過去は美化され、美しい記憶のまま心に刻まれていく。 それはきっと結末が存在しなかった「大恋愛」で、 そこに永
恋の始まりは、いつだって美しい。 純真な心で恋人を好きになり、毎日のように恋人を想う。 「好きな人がいる」「恋人がいる」ただそれだけの日常で、 憂鬱な朝も、目覚めてしまいたくなる。 すれ違いもなく、互いの生きる世界観に差異もなく ただひたすら同等に愛して、同等に抱きあう。 別れの季節はいつだって美しい。 別れのきっかけも忘れてしまうくらい、恋の始まりを思い返す。 すれ違いがあり、互いの生きる世界観に差異が生まれ、 もはや初心には戻れない。 あと戻りできないからこそ、
社会人、23歳のOLにも夏休みが到来。子供の頃、心待ちにしていた夏休み。大人になっても変わらず、夏休みが大好き。 仕事から少し離れて、時間に余裕もでき、「歳を重ねること」「大人になること」この二つを考えるようになりました。 以下、思ったことを綴らせてください。 中学生の頃、よく聴いていたコブクロの「桜」で、今でも大切に思う歌詞があります。 「人はみな心の岸辺に手放したくない花がある。それはたくましい花じゃなく、儚く揺れる一輪花。」 この歌詞に出てくる「手放したくない
「片想い」をしていたのは、大学一年生から三年生までの約二年間。 私が学生の頃、一番恋をした人は、恋人ではありませんでした。 本気で「恋」をしていたけれど、彼とのゴールを「恋人」として求めていたわけではなく「女性の一人」として認めてもらうことに、とにかく必死。「顔がタイプ」、「年上の尊敬できる人」、「おしゃれ」「エリート」。そんなところも好きな要素ではあったけど、何よりも、「一生叶わない」と知っていたからこそ、のめり込んでしまったのだと思います。 その方は既婚者でもなければ、
昔、愛用していた香水の匂いを恐れる時がある。なぜなら、香りは、どんな音楽よりも、どんな写真よりも、記憶を鮮明に呼び起こしてしまう。思い出したくないことを思い返すこともあれば、当時五感で感じていた全てを蘇らせるのだ。 三年前、ラルフローレンの「ラルフ オードトワレ」という香水を使っていた。今でもその香水は微量に残っていて、香りが漂うだけで使っていた当時の記憶が鮮明に蘇る。大学三年次、マレーシアで購入した香水だった。今思い返しても当時は良き時代だった。日本企業のインターンで好き
原作からのファンだった「世界から猫が消えたなら」は、少しコメディに描かれつつも、涙をそそるシーンも兼ね揃えた小説だ。 そんな大好きな物語が映画化され、以前、母と観に行ったのだが、一日中余韻に浸ってしまうほど印象に残るお話だった。 今回の記事では、映画を鑑賞した上で自分なりに考えたことを綴りたい。 余命宣告された主人公が明日を生きるために、世界に存在するものを、一つ一つ消し、一日一日、寿命を伸ばしていく。 電話、映画、時計、、最後に猫。 何気ない日常にあったものたちとの
現在23歳の私は、大学三年次の20歳の頃、マレーシアへ半年留学していた。マレーシアといえば、首都クアラルンプール。 だが、現地の大学に通いながら住んでいた場所は、そんな都心から二時間も離れたカンパーという小さな田舎町だった。 今回の記事では、半年間での留学で気になっていた 「日本とマレーシアのホスピタリティの違い」について記載したい。 冒頭で述べたように私が住んでいたカンパーという駅は、イポー市近郊の田舎だったので、地元のローカルレストランばかりに通っていた。 スタッフの
「ニューヨークへ行く」。 この一言は私にとって「ハワイへ行く。」や「ロスへ行く。」などとは意味合いが一味違う。幼少期から海外映画や海外ドラマが大好きだった私にとって、画面上で観ていた憧れの地へ足を踏み入れるということは非現実的な出来事だ。確かにNYは、世界中から常に注目を集めている都心であるとはいえ、航空券やホテルさえ押さえればいつでも行けるはずだ。しかし、誰かが大好きなシンガーソングライターを追いかけるように、つい大好きな芸能人のストーカーをしてしまう気持ちと同じように、